嫌な映像がずっと頭から離れない私が、心に残すものを選ぶ理由

嫌な映像がずっと頭から離れない私が、心に残すものを選ぶ理由

私は昔からホラー映画やグロテスクな映像が苦手です。

小さい頃に父が見ていたホラー番組のワンシーンや、テレビで見た心霊写真の一部を、今でも思い出せることがあります。

だからずっと、「私は怖いものが苦手なんだ」と思っていました。

でも最近、その理由は少し違うのかもしれないと気づきました。

目次

私は「死」が苦手なわけではなかった

考えてみると、私は動物ドキュメンタリーを見るのは平気です。

ライオンがシマウマを捕食する場面や、昆虫が他の昆虫を捕まえる場面を見ても、特別な嫌悪感はありません。

もちろん残酷だと感じることはあります。

でもそれは、生きるために必要な行為です。

自然界の中で起きている出来事として受け止めることができます。

一方で、スプラッタ映画のような過剰な残虐描写には強い不快感を覚えます。

それは単純に「血が苦手だから」ではないような気がしました。

気持ち悪さの正体

なぜ不快なのだろう。

そんなことを考えていたとき、ふと気づいたことがあります。

私は、命が刺激や衝撃のための道具として扱われているように感じると、不快になるのかもしれない。

もちろん映画はフィクションです。

作り物だということも分かっています。

でも、気持ち悪さや残虐さを極限まで高めて見せる演出を見ると、生理的な違和感が残るのです。

それは「怖い」ではなく、「気持ち悪い」に近い感覚でした。

そしてその感覚の奥には、自分でも気づいていなかった価値観があるような気がしました。

私は思っていた以上に、命というものに敬意を持っているのかもしれません。

映像記憶が強いという特性

もう一つ気づいたことがあります。

私は映像記憶が強いのだと思います。

嫌な映像を見たとき、その場で終わりになりません。

数年後でも思い出してしまう。

だから人よりも「何を見るか」の影響を受けやすいのかもしれません。

でも考えてみれば、その特性は悪いことばかりではありません。

子どもたちとの思い出を書くとき。

詩を書くとき。

ブログを書くとき。

私はまず情景を思い浮かべています。

あの日の空気。
子どもの表情。
部屋の明るさ。
聞こえていた声。

そうした映像のような記憶をたどりながら、言葉を書いていることが多いのです。

心の中に何を住まわせるか

以前の私は、苦手なものを避けることを少し後ろ向きに考えていました。

でも今は違います。

感受性の強さや映像記憶の強さは、自分の特性の一つです。

だからこそ、心の中に何を住まわせるかを選びたい。

何を見るか。
何を読むか。
どんな景色を覚えておくか。

それらは単なる好みではなく、自分の心を守るための選択でもあります。

そして同時に、未来の創作の材料を選ぶことでもあります。

嫌な映像も残るけれど、美しい景色も残る。

子どもたちの笑顔も残る。

私はこれからも、自分の心に残すものを意識して選んでいきたいと思います。

スラッグ:choose-what-stays-in-my-mind

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

もし今、 「誰にもわかってもらえない気持ちを、ずっと抱えてきた」 「普通を装ってきたけれど、本当の自分が置いてけぼりになっている」 そんな感覚を、少しでも持ったことがあるなら。

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