少し前に、私は「日本の土着魔女になりたいのかもしれない」というブログを書きました。
手仕事のある暮らしや、自然に近い生活。
昔ながらの知恵や、季節の移ろいを感じながら生きること。
そういうものに惹かれている自分がいて、でもそれをどう言葉にしたらいいのか、まだうまく掴めていませんでした。

あの記事を書いたあとも、私はしばらく考えていました。
自分はこれから、何を発信していきたいんだろう。
どんな活動をしていきたいんだろう。
セクシュアリティや自己理解について発信してきた私が、その先でどこに向かいたいんだろう。
そんなことを考える中で、最近「心の還る場所」というテーマが、自分の中に浮かび上がってきました。
発信の形に、少しだけ違和感があった
これまでは、ブログ記事を書いて、それをSNSでお知らせする、という形で発信を続けてきました。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
ブログまで読みに来てくれた人には、私の考えていることや感じていることが届いていたと思います。
でも、SNSの画面にAIで作ったアイキャッチ画像が並んでいるのを見たときに、少しだけ違和感がありました。
そこに、私自身の手触りや、人間らしさがあまり見えていない気がしたんです。
本当はもっと、自分が何に心を動かされたのか。
何を見て、何を感じて、どんな言葉が生まれたのか。
そういうものを、もう少し丁寧に残していきたいのかもしれない。
そんな感覚がありました。
八木仁平さんのワークで、やりたいことを見つめ直した
そこで改めて、自分のやりたいことを見つめ直すために、八木仁平さんの『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』のワークに取り組んでみました。
これは、自分の「好きなこと」「得意なこと」「大事にしたいこと」を整理しながら、本当にやりたいことを見つけていくための本です。
私はこの本をつかって、実際に手を動かして、ノートに書き出しながら向き合ってみました。
その中で見えてきたのは、私は単に「田舎のおばあちゃん的な暮らし」に憧れているだけではない、ということでした。
もちろん、手仕事や自然に近い暮らしには惹かれています。
でもそれ以上に、自然や場所、日常の中にある小さな美しさに心を動かされて、それを言葉や作品として残していくことにも強く惹かれているのだと気づきました。
自己理解の途中で、次に見えてきたもの
私はこれまで、セクシュアリティや自己理解について発信してきました。
それは、私自身が長いあいだ、自分の感覚に耳を傾けることができなかったからです。
自分が何を感じているのか。
何が苦しいのか。
何に違和感があるのか。
どういうあり方なら、自分は少し呼吸しやすくなるのか。
そういうことを、ひとつずつ言葉にしてきました。
そして今、自分の中では、セクシュアリティについてはある程度言語化できてきた感覚があります。
もちろん、これからも悩むことはあると思います。
人は変わるし、アイデンティティも一度決めたら終わりではありません。
でも、自分のベースにあるものが少しずつ見えてきたことで、次の問いに進めるようになった気がしています。
それが、私にとっては「心の還る場所」なのかもしれません。
「心の還る場所」とは何だろう
心の還る場所。
そう言うと、どこか特別な場所を探すように聞こえるかもしれません。
でも、今の私が考えているのは、もっと小さくて、日常の中にあるものです。
なんだか好きだと思った場所。
少しほっとした景色。
思わず足を止めた道端の草花。
また来たいと思った公園。
時間を忘れて眺めていた空。
そういう、自分の心が少し動いた瞬間を集めていくこと。
それが、今の私がこれから深めていきたいことなのだと思います。
これは、すぐに答えを出すためのものではありません。
「私はこういう人間です」と結論づけるためでもない。
まずは観察する。
集める。
自分の心や身体が、どんな場所でホッと安心できるのかを見ていく。
そんな実験に近いものです。
分析より観察。結論より収集。
「心の還る場所」について考えるとき、私はいきなり分析しすぎないようにしたいと思っています。
特に、AIに感じたことを打ち明けると、すぐ「それはつまりこういうことだね!」とまとめられがちです。
でも、まだ考え始めたばかりの私にとっては、全てに共通する感覚が私の核心であるとは限らない。
データの解釈は自分でしたい。
なぜ好きなのか。
これは何を意味しているのか。
自分の人生にどう役立つのか。
そうやってすぐに意味づけする前に、まずは観測データを集めてみたい。
たとえば、近くのお寺や公園を1時間くらいぶらぶら歩いてみる。
その中で、何に足が止まったのか。
どんな景色にほっとしたのか。
どんな音や匂いが残ったのか。
身体の力が抜けた瞬間はあったのか。
そういうものを、ひとつずつ記録していく。
そこからブログ記事が生まれるかもしれないし、詩や曲、写真と言葉のような作品になるかもしれません。
まだ、何になるかはわかりません。
でも、何になるかわからないまま集めていくこと自体に、今は意義を感じています。
感動を採集中
こうして考えていると、この活動は私にとって「感動採集」と呼べるものなのかもしれない、と思いました。
大きな感動だけではなくて、日常の中にある小さな心の動き。
見過ごしてしまいそうな、でも確かに自分を少し回復させてくれるもの。
そういうものを採集する人として、今の私は試しに、自分のことを「感動採集家」と呼んでみることにしました。
でも、「心の還る場所」を探していくことと、「感動採集家」という言葉は、かなり近いところにある気がしています。
これまでの発信も、これからの問いも
セクシュアリティや自己理解についての発信を、やめるわけではありません。
今まさに悩んでいる人に向けて、届けたい言葉はこれからもあります。
ただ、私自身はそのテーマを通ってきた先で、また別の問いに向かい始めているのだと思います。
自分の感覚に耳を傾けられるようになったからこそ、今度はその感覚がどこに向かうのかを見てみたい。
何に安心するのか。
どんな場所で心が還ってくるのか。
どんな感動を、私は作品として残していきたいのか。
これは、新しい発信の形を大きく宣言するというより、今の私がこれから考えを深めていきたいテーマの記録です。
これから少しずつ、近くの場所を歩いたり、心が動いたものを集めたりしながら、「心の還る場所」について考えていきます。
その記録や、そこから生まれた言葉や作品も、これから投稿していきたいなと思います。

