「女性陣は買い物好きだね」
夫の実家に帰省したとき、義母と私に向けて夫が言ったひと言です。
その瞬間、私の胸が重くなりました。
夫も義母も、私がノンバイナリーであることを知っています。それでも私は、その場で何も言えませんでした。ただ夫の目を見ながら、心の中で「私は違うけどね」とつぶやきました。
誰かにとっては、何気ない言葉かもしれません。でも私には、「あ、今、私の居場所がなくなったな」と感じる言葉でした。
最近、私はこんな小さな違和感を、無視したり我慢したりしなくてもいいのだと思えるようになってきました。
胸が重たくなる。少し痛くなる。反対に、心からうれしいことがあったり、感動したりすると胸が熱くなる。
言葉になるより先に身体が知らせてくれる心の動きを、少しずつ見逃さずにいられるようになってきたのです。
「私は違う」と、その場では言えなかった
夫は私がノンバイナリーであることを知っています。それなのに、私を「女性陣」に含める言い方をしたことで、モヤっとしました。
そのときは、「私は違うけどね」と心の中でつぶやくにとどまりました。
何も言わず、夫の目を見ていました。
義母も、私がノンバイナリーであることを知っています。「女性陣」という言葉が出たとき、むしろ義母のほうがシーンとなっていたような気がしています。
「あれ、これって大丈夫?」と思いながらも、何と言えばいいのかわからなかったのかもしれません。
私も、夫と一対一だったら、「性別に関係なく、好きなものは好きでしょ」と言えたと思います。でも、義母の前では言いづらく、その場の気まずさもあって、言葉にはできませんでした。
ひとくくりにされた瞬間、居場所がなくなった
「女性陣」「男性陣」という言葉は、人をわかりやすくグループに分けるときによく使われます。
ときには、仲間意識を強める言葉でもあるのだと思います。
けれど、ノンバイナリーの私にとって「女性陣」と呼ばれることは、仲間に入れてもらったという感覚にはなりませんでした。
私の中に浮かんだのは、
「あ、今、私の居場所がなくなったな」
という気持ちでした。
周りから見れば、何気ないひと言だったかもしれません。言った本人にも、誰かを傷つけようという意図はなかったと思います。
それでも、モヤモヤしたことは確かでした。
相手に悪気があったかどうかと、私がどう感じたかは、また別のこと。
モヤモヤを、自分の言葉にできるようになってきた
以前の私なら、胸にモヤッとした感覚があっても、そのままスルーしていました。
その場では何もなかったことにして、後から何度も思い出しては、悶々と悩むこともありました。
今は少しずつ、
「うーん、私はこう思うけどな」
と、自分の考えを言葉にできるようになってきました。
その場で相手に伝えられなくても、自分の中で何が嫌だったのかを認識する。それだけでも、以前とは違います。
違和感を放置してストレスをためるのではなく、小出しにしながら、自分の考えを知る機会として受け取れるようになってきました。
違和感か、思い込みかを見分けなくてもいい
感じた違和感が、本当に正しいものなのか。
単なる思い込みや、一時的な感情ではないのか。
以前なら、そんなふうに考えて、自分の感覚を疑っていたかもしれません。
でも今は、無理に見分ける必要はないと思っています。
「今、胸が重いな」
「苦しいな」
「痛いな」
そう感じたのなら、それが今の私に起きていることです。
その反応をきっかけにして、自分は何に引っかかったのか、どんな言葉なら心地よかったのかを考えてみる。
違和感を覚えたからといって、必ず相手に伝えなくてもいい。すぐに答えを出す必要もありません。
まず、自分だけはその感覚をなかったことにしない。それが、自分を知ることにつながっていくのだと気づきました。
自分が友人なら、そんな言葉はかけない
これまでの私は、違和感を抱く自分に対して、さらに自分で冷たい言葉を重ねていました。
「そんなの普通じゃない」
「私にしかわからないのだから、言っても仕方がない」
そうやって自分を責めるほど、孤独感は大きくなっていきました。
けれど、自分が友人だったら、そんな言葉はかけないと思います。
友人が「今の言葉、嫌だったな」と話してくれたら、「気にしすぎだよ」「普通はそう言うものだよ」と、その感覚をすぐに打ち消したりはしないはずです。
それなら、自分に向ける言葉も選び直していい。
そんな感覚が、少しずつ身についてきました。
「今の嫌だったな」と思ったときに
私は、誰にでも自分の違和感と向き合ってほしいとは思いません。
向き合えるときもあれば、今はそのままにしておきたいときもあります。
ただ、もし「あれ?」とか、「今の嫌だったな」と思ったときに、
「私は普通じゃないから、我慢しなくちゃ」
と、自分に言わなくてもいい。
小さな違和感は、すぐに解決しなければならない問題ではなく、自分のことを知る入り口になることがあります。
胸が重くなったことも、痛くなったことも、私の中で確かに起きたこと。
まずは私自身が、それを見逃さずにいたいと思います。

