ノンバイナリーは、男性または女性ではない人を広く表す包括的な言葉です。
男性でも女性でもない人、両方に近い人、どちらとも言い切れない人、性別がないと感じる人など、さまざまなあり方を含みます。
いまの私は、自分を説明するときに「ノンバイナリー」という言葉がいちばん近いと感じています。
ただ、この言葉に出会ったからといって、自分のことがすべてわかったわけではありません。女性と呼ばれたときに胸が重くなることもあるし、言葉にできない感覚も残っています。
この記事では、ノンバイナリーという言葉の基本と、Xジェンダーとの関係、そして今の私がこの言葉をどう使っているのかを紹介していきます。
ノンバイナリーとは、男性または女性ではない人を広く表す包括的な言葉
ノンバイナリー(non-binary)とは、男性または女性ではない人を広く表す包括的な言葉です。
男性でも女性でもないと感じる人、男性と女性の両方に近い人、どちらとも言い切れない人、時期や場面によって性別の感覚が動く人、性別がないと感じる人もいます。
この中のどれか一つだけがノンバイナリーというわけではありません。人によって使う言葉も、言葉との距離も違います。
たとえば、「親」という言葉だけでは、その人に子どもが何人いるのか、どんな毎日を送っているのか、子育てをどう感じているのかまではわかりませんよね。
ノンバイナリーも同じです。ある人が男性でも女性でもないと感じているからといって、ほかのノンバイナリーの人も同じ感覚とは限りません。性別がないと感じるのか、男性や女性のどちらかに近い感覚があるのか、呼ばれ方をどうしたいのかは、一人ひとり違います。
「こういう服を着るならノンバイナリー」「この項目にいくつ当てはまるならノンバイナリー」というわけでもありません。見た目や声、恋愛のあり方だけで、その人の性自認を決めることもできません。
Xジェンダーとは同じ?違う?
日本では、ノンバイナリーと近い言葉として「Xジェンダー」が使われてきました。どちらも、男性・女性という二択だけでは表しにくい感覚を表す言葉です。
Xジェンダーは日本で生まれた言葉で、中性、両性、無性、不定性などの感覚を含めて使われてきました。ノンバイナリーは英語圏で広く使われている包括的な言葉です。
二つには重なる部分がありますが、1対1で置き換えられる言葉ではありません。
私の場合、いちばん近い言葉はノンバイナリーです。もしXジェンダーという言葉で表すなら、「無性」が近いと思っています。自分の中に、男性でも女性でもない、性別がないような感覚があるからです。
これはあくまで、私の現在地です。同じ言葉を使う人が、同じ感じ方をしているとは限りません。
Xジェンダーについては、こちらの記事でも私の体験を交えながら書いています。
ノンバイナリーとトランスジェンダーの違い
トランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別と、自分で認識している性別が異なる人を指す言葉です。
たとえば出生時に女性と割り当てられた人が、自分を女性とは認識せず、ノンバイナリーだと認識している場合、出生時に割り当てられた性別と性自認は一致していません。
このため、ノンバイナリーをトランスジェンダーというさらに大きな傘の中に含める考え方があります。これが、ノンバイナリーを説明するときにトランスジェンダーという言葉も出てくる理由です。
一方で、これは言葉を分類するときの考え方です。ノンバイナリーの人が、自己紹介に「トランスジェンダー」という言葉を使うかどうかは、人によって異なります。
ノンバイナリーとトランスジェンダーの両方を自称する人もいます。反対に、トランスジェンダーという言葉に含まれる「性別を移行する人」というイメージが自分の経験には近くないと感じ、ノンバイナリーだけを自称する人もいます。
どちらが正しいという話ではなく、その人が自分の経験をどの言葉で表したいかの違いです。医療的な処置を受けているか、服装を変えているかだけで、どの言葉を使うかは決まりません。
ノンバイナリーとジェンダーレスの違い
ジェンダーレスとは、服装や髪型、商品や空間を、男性向け・女性向けと分けないあり方を指す言葉です。これは、内側で自分の性別をどう認識しているかという性自認とは、別の話です。
たとえば、出生時に女性と割り当てられ、自分自身も女性だと認識している人が、ボーイッシュな服装を好きで選ぶことがあります。服装はその人の好みや表現であり、性自認は本人が自分をどう認識しているかによって語られます。
出生時に女性と割り当てられたノンバイナリーの人が、フェミニンな服装を選ぶこともあります。
性自認は、見た目や服装ではなく、本人の認識によって表されるものです。
ノンバイナリーである私の体験
言葉に出会ったことで、過去の違和感を少し振り返れるようになった
学生のころ、テストや提出物にある「性別:男・女」という欄で、どちらに丸をつけても少し違うような感覚がありました。
当時は、その違和感を表す言葉を知りませんでした。だから、自分が変なのかと思っていました。
その後、双子の妊娠・出産を経験。双子の授乳を終えたとき、「女性としての役割を、ずっと仕事のようにこなしてきたのかもしれない」と気づきました。
子どもを産み終えたことで、女性として期待されてきた役割から少し離れてもいいのだと思いました。悲しいだけではなく、ほっとした自分がいたのです。
ノンバイナリーという言葉を知ったときも、「これが私の正解だ」とすべてが解決したわけではありません。
ただ、男か女かの二択に迷う人が、自分のほかにもいるのだと知りました。そのことで、「私は一人ではないんだ」と大きな安心を得ることができました。
最近は、違和感をすぐになかったことにしないようになった
少し前、夫の実家で、夫が義母と私に向けて「女性陣は買い物好きだね」と言いました。
夫も義母も、私がノンバイナリーであることを知っています。それでも、その瞬間に私は居場所がなくなったような気がして、そわそわしました。
その場では、何も言えませんでした。ただ夫の目を見て、心の中で「私は違うけどね」とつぶやきました。
以前なら、こういうモヤモヤを「気にしすぎかもしれない」と打ち消して、あとから何度も思い出していたと思います。
いまは、すぐに相手へ伝えられなくても、「私は今、胸が重くなった」と自分の中で確かめるようになりました。
まずは、自分だけはそのモヤモヤする感覚をなかったことにしない。
そうして、ノンバイナリーである自分と日々向き合っています。
「女性陣」と呼ばれた日のことは、こちらに詳しく書きました。
ノンバイナリーという言葉で、今の自分を仮に置いてみる
ノンバイナリーは、自分の性別の感覚を表すために、本人が選ぶ言葉です。
私にとっては、女性として生きることに感じてきた違和感や、性別がないように感じる自分を、いったん言葉にしてみるためのものです。
言葉に助けられることはある。でも、言葉の中に合わせて、自分もずっと同じ形でい続けなければならないわけでもない。
いまの私は、ノンバイナリーという言葉がいちばん近いと感じています。Xジェンダーという言葉なら、無性という感覚が近いです。
これから先、その言い方が変わることもあるかもしれません。
それでも、今の感覚を今の言葉で置いてみることには、意味があると思っています。

