子どもを産む前、私は自分のことを「女性」だと思っていました。
もっと正確に言うと、「この世の中では女性として生きていかなきゃいけないから、女性らしく振る舞っている人」という感じ。学生時代からなんとなく、一般的な女性とは違う感覚を持ってはいましたが、それがなんなのかはわからない状態でした。
妊娠も、出産も、その時点ではそこまで違和感がなかった。むしろお腹が大きくなっていくのを観察するのは、生命の神秘を感じる時間で、身体の変化が「女性らしい」ことが嫌だったわけではないんです。
ただ、ある瞬間が訪れました。
双子が3ヶ月の時、二人ともミルク移行したんです。その時、初めて気づいたんです。
「あ、もう女性として生きなくていいんだ」
妊娠中に感じた「生命の神秘」
妊娠中、身体が変わっていくことに対して、私は違和感を感じませんでした。むしろ、毎日お腹が大きくなっていく過程を観察するのは、生命の神秘を感じる時間でした。
「女性らしい」ことだから嫌だ、という感覚は一度もなかった。それは私にとって、単純に「素晴らしいこと」だったんです。
自分の体から母乳が出て、それが吸われて、それを飲んでいるだけなのに、数ヶ月もすれば子どもの体重は2倍、3倍と増えていく。
自分の血液が白い液体に変わって、体から出ていく。授乳中に胸が張り、胸が大きくなる。
そういう変化を、辛いとか苦しいとは思いませんでした。
それは多分、私の中の認識として「子どもに母乳を与える」ことが、生物のもっと根源的な本能に触れている感じがしたからだと思います。
そこには「女性だから」「男性だから」子どもをこうやって育てるだとか、そういうことを考えるもっと前の時代から、生まれた子どもに乳を与えるという哺乳類の本能を、自分も体感している。そんな感覚でした。
子どもを産み、育てる、という、これまで生き物が綿々とと受け継いできた神秘を体感できていることに、ただ感動していました。
「女性としての死」が起きた瞬間
双子が3ヶ月の時、二人ともミルクの方を好んで飲むようになりました。
正直、ほっとしたんです。
授乳の担当から解放されるという物理的な負担からの解放感。そしてそれと同時に、初めて「自分のこと」を考える時間ができました。
夜も寝られない状態が続く中で、自分の人生と向き合う時間が増えたんです。
その時、今まで封印していた気持ちが、魂からこんこんと湧いてくるような感覚がありました。
「私は、女性の体でやることはもう全部やった」
「燃え尽きた」
そして、同時に新たな違和感が立ち上がってきた。
「自分の性別についての疑問」
それは喪失感と、不思議な解放感が同時に起きる体験でした。
妊娠して、出産して、母乳を与えて。社会が「女性」に期待することを、全部やった。やり遂げた。
その時点で、私は「女性としての死」を迎えたんだと思います。
本当の自分が見える化した
「女性として死んだ」その時点で、私はようやく「本当の自分」に目を向けることができました。
それまでは「女性らしく振る舞う」というノルマに合わせて生きることが、自分を理解することだと思ってた。役割に合わせることが、一種のノルマのような感じで。
でも女性としての役割から解放された時、その呪いが解けたんです。
「私はどんなものが好きなのか」
「私はどういう髪型が好きなのか」
「私はどういう生き方をしたいのか」
そういったことを、初めて真面目に考え始めました。
パートナーに自分の違和感を伝えたのは、そこからです。
約2ヶ月間、ブログで発信しながら自分のセクシュアリティについて勉強を深めて、その上でメッセージで伝えました。
社会的なラベルと本当の自分
子どもたちは、私のことを「ママ」と呼ぶこともあります。
保育園で周りのお母さんたちを見て、「あ、ここではママって呼ぶんだ」と学んでいるんです。
でも家の中では「ユウ」と呼んでくれる。
上の子が2歳の時、私が自分のアイデンティティに気づいてから、「ユウって呼んでほしい」と伝えました。
今では上の子も下の二人も、自然と「ユウ」と呼んでくれます。
その差の中に、私の今がある気がします。
「ママ」という社会的なラベルと、「ユウ」っていう本当の私。その両方を生きてるんだなって。
子どもたちは、場面によって使い分けることを学んでいます。それは否定するわけではなく、「どちらも私なんだ」ということを理解する力なのかもしれません。
まとめ
子どもを産む前、私は「女性」というラベルの中で生きていました。
妊娠も、出産も、その時はそのラベルの一部として捉えていた。でも授乳を終えた時、初めて気づいたんです。
「もう、女性として生きなくていいんだ」
それは喪失と解放が同時に起きる体験でした。出産を通じて人生で最高の創造物を生み出したことで、同時に「女性としての役割」は完遂された。そこから先は、本当の自分を生きていく時間だと思いました。
もし、あなたも何かのラベルを背負いながら生きていて、その中で違和感を感じているなら。
その違和感は、あなたを傷つけるものじゃなくて、本当のあなたを教えてくれるものかもしれません。

