誰かに「好きです」と言われたとき。
うれしいより先に、「ああ、今までの関係が終わってしまうんだ」と感じたことがありました。
私はその人と、今までの友人の距離のままでいたかったんです。
一緒に話したり、出かけたり、お互いの好きなものを共有したりする時間が好きでした。
でも、相手の「好き」が恋愛だったとわかった瞬間、それまで同じ場所に立っていたはずの二人が、別の関係を見ていたことに気づきました。
こんにちは。
3児の親でありXジェンダー。30歳から「自分らしい生き方」を探求中のユウです。
私は昔から、友情と恋愛の違いがよくわかりませんでした。
「友達として好き」と「恋愛として好き」は、どこで分かれるんだろう。
そんな疑問に近いと感じることができたのが、クワロマンティックという言葉でした。
クワロマンティックとは?恋愛という分類がうまく当てはまらない感覚
クワロマンティック(Quoiromantic)は、恋愛感情と友情をうまく分けられない、恋愛感情があるのかどうかわからない、あるいは「恋愛」という分類自体が自分には役立たないと感じる人が使うことのある言葉です。
「Quoi」は、フランス語で「何?」という意味です。
恋愛的な魅力とは何なのか。
そもそも、自分の気持ちを恋愛と友情に分ける必要があるのか。
その前提から立ち止まって考える言葉でもあります。
AUREAの用語集でも、クワロマンティックは、恋愛や恋愛的な魅力という区分を理解しにくい、または自分の経験に当てはめにくい感覚や、友情と恋愛を区別しようとすると混乱する感覚として説明されています。
ただし、全員が同じ感じ方をしているわけではありません。
「恋愛感情がない」と感じる人もいれば、あるのかないのかを判断できない人もいます。恋愛という分類そのものを、自分の経験には必要ないと考える人もいます。
私の場合は、恋愛が嫌いというよりも、「何を恋愛と呼んでいるのかが、どうしてもつかめない」という感覚が近いです。
参考:AUREA「All Aromantic Terms」/AUREA「Quoi is what?」
辞書を引いても、友情と恋愛の境界は見つからなかった
以前の私は、言葉の意味をきちんと調べれば、友情と恋愛の違いがわかると思っていました。
実際に、辞書で「友達」と「恋人」を調べたこともあります。
友達は、互いに心を許して対等に付き合う人。
恋人は、恋愛関係にある相手。
そこまで読んだところで、手が止まりました。
私にとって恋人も、心を許して対等に付き合いたい人です。
では、その二人を分けている「恋愛関係」とは何だろう。
言葉を調べれば境界線が見つかると思っていたのに、辞書の説明で、私をまた同じ場所に戻ってきてしまいました。
私は、本当は曖昧なままにしておきたいわけではありません。
できることなら、構造を理解したいし、友情と恋愛が違うなら、何が違うのかを知りたいです。
でも、考えても調べても、今の私には曖昧としか言いようがありません。
その「わからなさ」を表す言葉が、クワロマンティックでした。

告白されると、「恋愛が始まる」より「関係が終わる」と感じた
学生のころ、仲のよい男友達がいました。
一緒に遊びに行ったり、ほかの友人にするのと同じように、あいさつでハグをしたりしていました。
私の中では、大切な友人の一人でした。
その人への気持ちが友情なのか恋愛なのかと聞かれたら、当時も、今振り返っても、はっきり答えることはできません。
ただ、一緒にいる時間は好きでした。
ところが相手は、私を恋愛の対象として見ていました。
告白されたあと、私はその気持ちを受け取れず、以前のように一緒に過ごすことはなくなりました。
悲しかったのは、恋人になれなかったことではありません。
心を開ける友人との関係が、終わってしまったことでした。
今は、相手が悪かったとも、私が何かを間違えたとも思っていません。
同じ関係を見ながら、二人が別の将来を見ていたのだと思います。
でも当時の私は、「恋愛的に親しくなると、その先には性的な行為がある」という流れについていけませんでした。
友達として大切に思っているだけでは、足りないのだろうか。
恋人にならないなら、この親しさには続きがないのだろうか。
そんな寂しさを、うまく言葉にできないまま抱えていました。
この出来事については、クワセクシュアルの記事でも、性的な魅力との境界から振り返っています。

診断を繰り返しても、恋愛の意味がわかったわけではない
私はこれまで、自分のセクシュアリティを知りたくて、診断を何度か受けました。
診断結果には、Xジェンダー、ノンバイナリー、クエスチョニング、リスセクシュアル、パンロマンティックなど、そのときの回答に応じていくつもの言葉が並びました。
知らなかった言葉に出会えたことは、私にとって意味がありました。
でも、診断を5回受けたから、ようやく正しい答えにたどり着いた、というわけでもありません。
結果を読むたびに、「この部分は近い気がする」「ここは少し違うかもしれない」と考えていました。
クワロマンティックという言葉を知ってからも、友情と恋愛の違いが見えるようになったわけではありません。
ただ、「恋愛とは何だろう」と立ち止まっている人が、自分以外にもいる。
そのことを知ったとき、少し安心しました。
言葉に自分を合わせるのではなく、自分の経験を振り返ったときに、その言葉がヒントになるような形で使っています。
私にとって診断は、答えそのものというより、それまで知らなかった言葉へつながる入口なのです。
当時の診断と「わからなさ」については、5回目のセクシュアリティ診断を受けたときの記事に書いています。
「友情の次は恋愛」という道しかないように見えた
誰かと親しくなり、お互いを特別に思うようになったら、告白をして恋人になる。
その先に結婚があり、家族になる。
私は長い間、それが人間関係の自然な進み方なのだと思っていました。
恋愛ドラマも、友人たちの恋の話も、恋愛関係になることをひとつの幸せとして描いていました。
でも、その道筋しか見えないと、私はどこに立てばいいのかわからなくなりました。
大切な友人と、今の関係のまま長く一緒にいたい。
恋人という名前がなくても、深く信頼し合いたい。
そう思うことが、関係を進めることから逃げているように見えたり、相手を本気で好きではない証拠のように扱われたりすることもありました。
けれど今は、関係が深まることと、恋愛関係になることは、必ずしも同じではないと考えています。
友情から恋愛へ進む人もいる。
友情のまま、長く大切にし合う人もいる。
友情や恋愛という言葉だけでは表せない関係を、自分たちで育てる人もいます。
恋愛を前提にしない深いつながりについては、QPRの記事でも考えています。
今のパートナーを「恋愛」だけでは説明できない
私は結婚していて、子どもがいます。
今のパートナーは、私にとって親友であり、家族であり、一緒に生活を作っている人です。
もちろん、何もかもわかり合えているわけではありません。
ときには喧嘩もするし、考え方が違うこともあります。
それでも、必要以上に干渉せず、話し合いながら暮らしてきました。
この関係を恋愛と呼ぶのかと聞かれると、私はやはり少し考えます。
恋愛ではない、と完全には言い切れない気もする。
ただ、私がこの関係で大切にしているものは、「恋愛的に好きかどうか」だけでは説明できないんです。
一緒にいると落ち着くこと。
暮らしの中で、困ったときに話せること。
相手を自分の思いどおりにするのではなく、違う人間のまま隣にいられること。
そういう小さな積み重ねの結果、一緒にいるのです。
もしかすると私は、恋愛という一つの言葉だけで、人とのつながりを説明しきることに違和感があるのかもしれません。

クワロマンティックという言葉で、変わったことと変わらなかったこと
クワロマンティックという言葉に出会ったことで、自分の感覚を少し説明しやすくなりました。
「恋愛がわからない自分は、どこか欠けているのではないか」と考える代わりに、「恋愛という分類を、自分の経験へうまく当てはめられない人もいる」と考えられるようになったからです。
一方で、言葉に出会っても、私の中の境界線が急にはっきりしたわけではありません。
友人への「好き」と、パートナーへの「好き」がどう違うのか。
今でもうまく説明するのが難しい。
以前は、その答えが見つからないこと自体が不安でした。
今も答えは知りたいです。
ただ、わからないからといって、誰かを大切に思う気持ちが偽物になるわけではない。そこは、以前より自信を持って思えるようになりました。
クワロマンティックという言葉を、これからもずっと使うのかはわかりません。
言葉と自分との距離は、これから時間とともに変わる可能性だってあります。
「クワロマンティック」は、長く抱えてきた問いを、いったん誰かと共有するための言葉として便利だなと感じています。

