「性的に惹かれるって、どんな感覚なんだろう」
人をきれいだと思ったり、大切に感じたりすることはあります。
けれど、それが性的な魅力なのかと聞かれると、私は今でもうまく答えられません。
こんにちは。
3児の親でありXジェンダー。30歳から「自分らしい生き方」を探求中のユウです。
クワセクシュアル(Quoisexual)は、「性的魅力」という概念が自分にはよくわからない、うまく当てはまらないと感じる人が使うことのある言葉です。
「クワセクシャル」と表記されることもあります。
この記事では、言葉の意味やクワロマンティック・アセクシュアルとの違いを整理しながら、友愛・恋愛・性愛の境界がわからなかった私自身の感覚も書いてみます。
読んだあとにラベルを決めることが目的ではありません。
「こういうわからなさもある」と、いったん置いておくための記事です。
クワセクシュアルとは?「性的魅力がわからない」という感覚
クワセクシュアルの「Quoi」は、フランス語で「何?」という意味です。
2014年にTumblrのユーザー epochryphal さんが、quoiromantic / quoisexualについて書いた投稿が、言葉が広まるきっかけのひとつとされています。
「恋愛的な魅力や性的な魅力って、そもそも何?」
そんな感覚を表すために使われてきた言葉です。
ただ、クワセクシュアルには、全員に共通するひとつの感じ方があるわけではありません。
たとえば、こんなふうに感じる人もいます。
- 「性的魅力」という言葉が、自分のどの感覚を指しているのかわからない
- 誰かを美しい、かっこいいと思っても、それが性的な惹かれ方なのか区別できない
- 友愛・恋愛・性愛を別々の感情として分けることに、あまり意味を感じない
- 既存の性的指向の説明を読んでも、自分の感覚に当てはめにくい
「性的魅力を感じない」とはっきり言える人もいれば、感じているのかどうかを判断できない人もいます。
その「わからないとしか言いようがない感じ」に近い言葉として、クワセクシュアルを使う人がいます。

クワセクシュアルとクワロマンティックの違い|私には境界がうまく分けられなかった
クワセクシュアルとよく似た言葉に、クワロマンティックがあります。
短く整理すると、次のような違いがあります。
| 言葉 | 主に関係する感覚 | たとえば |
|---|---|---|
| クワセクシュアル | 性的な魅力 | 「性的に惹かれる、という感覚がよくわからない」 |
| クワロマンティック | 恋愛的な魅力 | 「恋愛感情と友愛の違いがよくわからない」 |
でも、実際の気持ちは、表のようにきれいに分かれるとは限りません。
私の場合は、「これは友愛」「これは恋愛」「これは性愛」と感情を仕分けること自体が難しく感じます。
誰かともっと一緒にいたいと思う。
会える日が近づくと、少しそわそわする。
相手が笑っているのを見ると、うれしい。
それは友人にも感じるし、家族にも感じます。
だから私は、クワセクシュアルとクワロマンティックの両方の説明に、自分と重なる部分があるように感じています。
どちらか一方を正しく選ばなければいけない、ということでもないのだと思います。
アセクシュアルとの違い|「感じない」と「わからない」は同じではない
アセクシュアルは一般に、他者に性的な魅力を感じない、またはほとんど感じない人を表す言葉です。
一方、クワセクシュアルは、「性的魅力」という概念そのものがよくわからない、あるいは自分に当てはめにくい、という感覚に重心があります。
- アセクシュアル:性的魅力を感じない、またはほとんど感じない
- クワセクシュアル:感じているのかどうか、そもそも何を性的魅力と呼ぶのかがわからない
これは言葉の違いを短く説明したもので、すべての人の体験を二つに分ける線ではありません。
アセクシュアルの人がクワセクシュアルという言葉も使うことがありますし、どちらの言葉もしっくりこない人もいます。
なお、性的な魅力、性欲、性的な行動を望むかどうかは、それぞれ別のことです。
「アセクシュアルなら性欲がない」「クワセクシュアルなら性的な関係を持たない」と、行動だけで外側から決めることはできません。
「好き」の種類がわからなかった、私の場合
辞書で「友達」と「恋人」を調べたことがある
私は昔から、「友達と恋人は何が違うんだろう」と考えてきました。
あまりにわからなくて、辞書を引いたこともあります。
友達は、互いに心を許し合って、対等に交わっている人。
恋人は、恋愛関係にある相手。
定義としては違うのですが、私にとって恋人もまた、心を許せる対等な人です。
辞書を閉じても、「では、その恋愛関係とは何だろう」という疑問が残りました。
言葉を調べれば、境界線が見つかると思っていたんです。
でも、線はあまりはっきりしませんでした。
友人に対しても「ドキドキ」する
以前、「ドキドキするかどうかが恋愛の目印なんじゃない?」と言われたことがあります。
けれど私は、友人に対してもドキドキします。
すばらしい景色の中で、友人がうれしそうにしているとき。
好きなことに夢中になって話している姿を見たとき。
久しぶりに会える日が近づいたとき。
そういう場面でも、心臓が少し速くなる感覚があります。
私にとって「ドキドキ」は、恋愛だけに置かれている感覚ではないようです。
美しいと思うことと、性的に惹かれること
人の姿を見て、「かっこいいな」「きれいだな」と思うことはあります。
鍛えられた身体や、首筋の線を美しいと思うこともあります。
でも、それが「触れたい」「性的な関係を持ちたい」という気持ちにつながるのかと聞かれると、よくわかりません。
美術館で作品を見ているときの感覚に近い、と感じることもあります。
周りの人が「この人、セクシーだよね」と盛り上がっているとき、私は少し遠くから、その会話を眺めているような気持ちになることがありました。
どんな仕草や身体の部位が一般的に「性的」と受け取られやすいのかは、漫画やドラマ、人との会話から知識として知っています。
ただ、それを自分の感覚としてどこに置けばいいのかは、今もよくわかりません。

境界の見え方が違って、友人との関係が終わったこともある
学生のころ、仲のよい男友達がいました。
一緒に遊びに行ったり、ほかの友人にするのと同じように、あいさつでハグをしたりしていました。
私の中では、大切な友人の一人でした。
その気持ちが友愛なのか、恋愛なのかは、自分でも判断できていませんでした。
でも、相手は私を恋愛の対象として見ていました。
告白されて、私はその気持ちを受け取ることができませんでした。
そのあと、一緒に過ごすことはなくなりました。
私は、心を開ける友人が去ってしまったことが悲しくて、「何を間違えてしまったんだろう」と考えました。
今振り返ると、相手が悪かったとも、私が間違っていたとも思いません。
同じ関係を見ていても、境界線の見え方が違っていたのだと思います。
私にとって自然な親しさが、相手には恋愛として届くことがある。
反対に、相手が恋愛のつもりで示していたものを、私が友愛として受け取ることもある。
人と関わるときには、自分の中だけで関係を決めず、スキンシップや距離感について確認することが大切なのだと、この経験から思うようになりました。
それでも、毎回きれいに説明できるわけではありません。
今も境界を探りながら、人と付き合っています。
「経験が少ないから、わからないだけ」と言われた
自分の感覚を人に話したとき、「まだ恋愛経験が少ないからじゃない?」と言われたことがあります。
当時は、いつか自然にわかる日が来るのだと思っていました。
恋愛漫画を読んだり、映画を観たり、恋バナに参加したり。
周りの人が話している「恋愛」や「性的な魅力」を、知識として覚えようとしていた時期もあります。
でも、結婚して、子どもが生まれて、そのあとも「性的魅力がわかるようになった」という感覚はありませんでした。
だから今の私は、経験を増やせば必ずわかるものでもないのかもしれない、と考えています。
これは、すべてのクワセクシュアルの人に当てはまる話ではありません。
あくまで、私の場合です。
クワセクシュアルかもしれない、と感じたときに
「性的魅力という感覚がわからない」
「好きの種類をうまく分けられない」
そう感じたとき、クワセクシュアルという言葉が近く感じられる人もいます。
ただ、いくつ当てはまればクワセクシュアル、という診断ができるものではありません。
言葉を使うかどうかも、今すぐ決めなくていいのだと思います。
私も、この言葉ですべてが説明できたわけではありません。
それでも、「わからない」と感じている人が自分以外にもいると知ったことで、少しだけ自分の感覚を観察しやすくなりました。
ラベルは、自分を入れるための箱というより、今いる場所を誰かに伝えるための仮の目印のようなものなのかもしれません。
近く感じる間は使ってもいい。
違うと感じたら、使わなくてもいい。
まだわからないなら、そのままでもいい。
私は今、そんな距離でこの言葉を見ています。

今も「わからない」まま考えている
クワセクシュアルという言葉を知ってからも、「好き」の境界がきれいに見えるようになったわけではありません。
今でも、友愛なのか、恋愛なのか、性愛なのか、考えてもよくわからないことがあります。
私は本質を知りたいし、できるなら、はっきり理解したいと思っています。
でも、人の気持ちは、整理しようとするとこぼれてしまうものもあるようです。
だから、その「わからなさ」を急いで片づけなくてもいいのかもしれない。
今の私は、そんなふうに考えています。
あなたは、どんなときに「好き」の境界がわからなくなるでしょうか。

