その箸は、男性用として作られた長さの、青いプラスチックの箸だった。四角い形で、黒い線が入っている。
私が普段使っているのは、100円ショップで買った茶色い箸だ。角には丸みがあって、10本まとめてひとくくり。どの二本をつかんでも、揃えば箸として使える。
あるとき、夫が使う青い箸が、たまらなくうらやましくなった。
夫は、何の迷いもなくその箸を使う。特にこだわりがあるわけでも、青が好きな色というわけでもない。大学時代から使っているその箸を、今日も何の気なしに手に取る。
それなのに、うらやましかった。いや、だからこそ、うらやましかったのかもしれない。
どれを選んでも同じ箸を使う自分は、こだわりのない、無難な服を着ている自分に似ていた。男か女か、自分の性別がわからなくて悩んでいたとき、周りに違和感を抱かれないようにユニセックスの服を選んでいた自分に。
その服も、その箸も、自分で選んだものではある。けれど、噛み終わって味のしなくなったガムみたいに、その選び方が急につまらなく感じられた。
それで、夫の青い箸を使ってみた。
けれど、手にしてみると、それはただ人のものを借りているだけだった。私には、私にふさわしい箸がない。そのことが、かえって虚しかった。
無難なものを選んできたことも、男性的なものに憧れて手に取ったことも、私自身の経験だ。けれど、どちらも今の私が本当に望んでいる姿とは、どこか違う気がする。
次は、自分の好きな箸を、自分で選んでみたい。
毎日のほんの小さなことなのに、箸一本でこんなに揺れる。その揺れの中にいる私に、自分で選んだ箸が少しの安寧をもたらしてくれたらと思う。
あとがき
この青い箸は、夫が大学時代から使っているものです。必要になって買ったのか、実家から持ってきたのか、私にはわかりません。たぶん、選んだことにも使い続けていることにも、深い理由はないのだと思います。
夫がその箸を何の気なしに使っていることが、私には羨ましかった。多くの人は、自分の性別について深く考えることなく、生まれたときに告げられた性別を自分の性別として生きているように見えます。夫が迷わず青い箸を手に取る姿に、その「当たり前」を突きつけられるような気がしたのです。私にはそうできないことが、悔しくて、羨ましかった。
以前、私のセクシュアリティについて夫が耳を傾けてくれなかった時期には、反抗心からわざとこの箸を使っていました。でも今は、むしろ使いたくないと感じる時期が来ています。同じ箸なのに、使いたいときと使いたくないときがある。その変化は、自分の中の性別の揺らぎにも、どこか似ています。
「どんな箸が自分らしいのか」は、まだわかりません。ただ今は、自分が好きだと思える一本を、自分で選んでみたいです。

