こんにちは。
3児の親であり、性別や恋愛観について考え続けてきたユウです。
先日、イベントでセクシュアルマイノリティ当事者の方と話していた時、こんな話題になりました。
「SNSで“男性”“女性”って普通に公開できる人、すごいよね」
その言葉に、私はすごく共感しました。
もちろん、「男性」「女性」と書いている人を否定したいわけではありません。
でも私は昔から、
「みんなって、本当にそんなに自然に“自分は女性です”“男性です”って思って生きてるの?」
という疑問が、ずっと頭のどこかにありました。
そして最近、その感覚は私だけではなかったのだと、少しずつわかってきました。
SNSの性別欄を見て、ふと思ったこと
きっかけは、SNSのプロフィール欄でした。
「女性」「男性」という欄を、みんな自然に公開している。
でも私は、そこに対してずっと不思議さがありました。
- みんな本当に“自分は女性”“自分は男性”っていう感覚があるんだろうか
- それとも、二択しかないから選んでいるだけなんだろうか
- そもそも疑問に思ったことすらないんだろうか
私には、その感覚がよくわかりませんでした。
なぜなら私は、自分の性別について「当たり前にしっくりくる」という経験が、あまりなかったからです。
「女の子はこっちね」と言われるたびに感じていた違和感
小さい頃から、
「女の子はこっち、男の子はこっちね」
という場面が苦手でした。
そのたびに私は、
「えー、どっちに行こうかな」
と思っていました。
男の子側に行ってみたい気持ちもあった。
でも、実際に行ったら、
- 「何やってんだよ」とからかわれる
- 女の子側からも変に見られる
そういう空気は子どもながらにわかっていたので、実際には動きませんでした。
だから私は、外から見ると“普通に女の子側にいる子”だったと思います。
でも本当は、
「真ん中があったら、そこにいた」
そんな感覚でした。
「ボーイッシュな女の子」とも少し違った
周りには、ボーイッシュな女の子もいました。
短髪で、活発で、男の子っぽい服を着る子、一人称が「僕」や「俺」の子。
でも、その子たちは「自分が女の子であること」自体には、そこまで違和感がないように見えました。
私はそこに、少し寂しさを感じていました。
「私はこの子たちとも、ちょっと違うんだな」と。
私は「女の子らしさ」が苦手だったというより、
“女の子側に完全には所属していない感覚”
があったんだと思います。
学術的には、「性別の自覚」はどう研究されている?
実はこうした感覚は、発達心理学やジェンダー研究の分野でも研究されています。
研究では、子どもは2〜3歳頃から「男の子」「女の子」というカテゴリを認識し始めるとされています。
(参考:https://www.child-encyclopedia.com/gender-early-socialization/according-experts/gender-self-socialization-early-childhood)
一方で、
- そのカテゴリをどれくらい“自分の感覚”として持つか
- 性別をどれくらい強く意識するか
- 違和感なく受け入れているか
には、大きな個人差があるとも言われています。
(参考:https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10457095/)
つまり、「自分は女性だ」「自分は男性だ」という感覚は、人によってかなり違う可能性があるんです。
「性別を意識しないで生きられる人」が少し羨ましかった
私は、生物学的には女性です。
だからこれまでの人生でも、女性コミュニティの中にいることは多かったし、女性同士の交流はむしろ安心感がありました。
でもその一方で、
- 「女の子として男の子にモテたい」
- 「女の子は男の子を好きになるもの」
という空気には、ずっと馴染めませんでした。
私はアセクシュアルの傾向もあるので、周りの女の子たちがその“当然さ”の中で違和感なく過ごせていることがずっと不思議だったんです。
だから、
「現状がしっくりきていて、疑問を持たずに生きられるって、どんな感覚なんだろう」
と羨ましく思うこともありました。
羨ましかったのは、“女性であること”そのものより、
「違和感なく社会に馴染めること」
だったのかもしれません。
私にとっての違和感は、「左右逆の靴」みたいだった
今振り返ると、私は性別について「考えたかった」というより、
“考えざるを得なかった”んだと思います。
たとえるなら、ずっと左右逆の靴を履いて歩いている感じ。
歩けないわけじゃない。
生活もできる。
でも、
- なんとなく歩きづらい
- 時々靴ずれする
- ふとした時に足元が気になる
そんな違和感が、ずっとついて回る。
だから何度も、
「なんでこんなにしっくりこないんだろう」
と足元を見直してしまう。
私にとって、“性別を考える”というのは、そんな感覚に近かった気がします。
「普通に馴染める人」と「考え続けてしまう人」
もしかしたら、
- 性別を深く考えたことがない人
- “女性”“男性”を自然に受け入れている人
もたくさんいるんだと思います。
それは悪いことではなく、むしろ“靴がちゃんと合っている”状態なのかもしれません。
でも一方で、
「なんとなく違う気がする」
「自分の居場所が二択のどちらでもない気がする」
そんな感覚を抱えながら生きている人も、きっといる。
私は最近、そういう“うまく言葉にならない違和感”を持つ人たちと出会うことが増えてきました。
そして、その違和感を考え続けてしまうのは、決して「考えすぎ」だからではなく、
“どこかにズレがあるから”
なのかもしれないと思っています。
おわりに
私は今でも、
「私はこういう性別です」と、
100%迷いなく言い切れる感覚はありません。
でも最近は、
“わからなさを抱えたまま生きる人もいる”
ということを知れたことで、少しだけ楽になりました。
もしこの記事を読んで、
「私もずっと不思議だった」
「“女性”“男性”って、そんな自然に思えるものなの?」
と感じた人がいたら。
その感覚は、あなただけじゃないのかもしれません。

