夫と話していたとき、ふいにこんなことを言われた。
「あなたは、時代が違えば芸術家としてもっと活躍できたかもしれないね」
その言葉を聞いたとき、なぜだか少しワクワクした。
芸術家。
これまでの私にとっては、自分からは少し離れた場所にある憧れの言葉だった。特別な学校で学んだ人や、一つの技術を長年磨き続けた人が名乗るもののような気がしていたからだ。
けれど、「今からでも、もしかしたらなれるんじゃない?」と夫と話しているうちに、もし私が芸術家になるとしたら、どんな方面が性に合っているのだろう、と考え始めた。
そこでAIに相談してみることにした。
まずは、これまで好きだったものをひたすら並べてみた
最初から「あなたにはこのジャンルが向いています」と診断してもらうと興醒めするので…
まず最初はひたすら自分のことを話してみた。
自分でやりたいものなのか、ただ作品として好きなだけなのか。それもあえて分けず、これまで夢中になったものや、なぜか今も覚えているものを、思いつくまま話していった。
最初に出てきたのは、バンダイのガチャガチャ、FROG STYLEだった。
それまでガチャガチャに特別ハマったことはなかったのに、FROG STYLEだけは大量に集めた。同じカエルの形をしているのに、色や模様、設定が少しずつ違う。その頃から私は、「同じ形で、違うもの」が好きだったのかもしれない。
音楽では、ドビュッシー、ショパン、リスト。ジャズならビル・エヴァンスやH ZETTRIO。アデル、サム・スミス、エド・シーラン。日本の音楽なら、荒井由実、中島みゆき、井上陽水、吉田拓郎。久石譲や坂本龍一、民謡、民族楽器、ケルト音楽も好きだった。
絵ではクレー、マグリット、バンクシー。単に美しいだけでなく、「これはどういうことなんだろう」と考えたくなる作品に惹かれる。
漫画やイラストでは、キヅナツキさんやtoi8さんの、色使いや情景、絵柄そのものが好きだった。映画は『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『ジュマンジ』『ザスーラ』。物語ではミステリーをたくさん読んだ。怪人二十面相、夢水清志郎、『バチカン奇跡調査官』『博多豚骨ラーメンズ』『猫弁』『視覚探偵 日暮旅人』。強いだけではなく、少し闇や傷を持つ主人公、そしてバディものが好きだった。
宮沢賢治や、まど・みちおの詩も好きだった。
妖怪も好きだ。怖いだけの妖怪より、キジムナーのように、自然から生まれ、いたずら好きで、どこか愛嬌のある存在に惹かれる。
見えないけれど、すぐそばにいる。
「こういう場所だったら、何かいそう」と想像できることが、私は好きなのだと思う。
旅先では焼き物をよく買った。一輪挿し、マグカップ、器。高価で有名な窯のものというより、その土地で作られた、手の届く価格の綺麗なもの。釉薬の色、鉱石や火山岩の色、地域ごとに違うこけし、赤べこ、神社の木工品。古い神社のご神木や木彫り、ちらりと見える天井画も好きだった。
並べてみると、とにかくいろいろなものが出てきた。
実は、これまでにも結構いろんな作品を作っていた
さらに、自分でやってきたことも話してみた。
編み物では帽子や子どものカーディガン、編みぐるみ、刺繍糸で編んだ花やアクセサリーを作った。樹脂粘土では、カラスウリの種をイヤリングにした。
カラスウリの種は、小さなチョコクロワッサンのような形をしている。それがとても愛らしくて、粘土で再現したくなったのだ。
キュウリグサという小さな雑草を耳飾りにしたこともある。ノブドウの実を作って、色を塗ったこともある。レジン、オーブン粘土、ドライフラワー、押し花、グリセリンを使った植物標本も試した。お月見団子を載せるためのお皿を作り、子どもと一緒にお月見をしたこともあった。
こうして振り返るまで、自分がこんなにいろいろな素材に触れていたことを忘れていた。
私は、芸術活動を何もしてこなかったわけではなかった。思いついたものを調べ、試し、作り、誰かにあげたり、暮らしの中で使ったりしてきた。
一方で、同じものを大量に作って販売するハンドメイド作家には、あまり向いていない気もしていた。在庫を抱えることや、売れなかったときに材料が無駄になることが気になる。樹脂やレジンが最後にはプラスチックごみになることにも、だんだん引っかかるようになった。
作るなら、できれば自然に近い素材で。土に還るものや、最後まで使い切れるものがいい。
作品の見た目だけでなく、作ったあとにどこへ行くのかまで、私は気になるらしい。
私が楽しかったのは、「誰も気づいていないけど、かわいいもの」を伝えること
AIと話している途中で、「作っていて、どんな瞬間が楽しかったのか」と考えた。
思い浮かんだのは、やはりカラスウリの種やキュウリグサを作品にしたときだった。
誰も気づいていないけれど、これはかわいいんだよ。
目立たない雑草や、見過ごされてしまう小さな形に光を当てて、その愛おしさを誰かにも見えるようにできた。それが、私にとっては楽しい出来事だった。
大学時代には、生物系の部活動で、文化祭の解説展示に使うコウモリやクワガタ、鳥などの色鉛筆画も描いていた。模写ではあるけれど、かなりリアルに描ける。しかも、自分で言うのも何だけれど、結構うまい。
けれど普段、鳥を見かけたから絵に残しておこう、とはなかなか思わない。
絵を描くことが嫌いなのか。時間をかけるのが嫌なのか。それとも、文化祭のように目的があれば描けるのか。このあたりは、自分でもまだよく分からない。
ただ、「何を描いてもいい」と言われるより、範囲や役割があったほうが力を出しやすいのかもしれない、という仮説は残った。
すぐにAIの答えを聞かなかった理由
ここまで話したところで、一度、私の発言をできるだけ生のまま記録してもらった。
さらに、会話に出てきた作品名、素材、動作、感覚を、AIに分類させず、一列の一覧にしてもらった。
先にAIにグルーピングされると、その答えに自分の感覚が引っ張られてしまう気がしたからだ。まずは自分で一覧を眺め、「この言葉とこの言葉は、私の中では近い」と考えたかった。
そのうえで、AIにはもう一つ、別のファイルを作ってもらった。
題名は、そのまま「AIの勝手な予想」。
しかも、私が今やりたいと思っていることには結びつけず、過去に好きだったものと制作経験だけから、勝手に予想してほしいと頼んだ。
AIには、私はどう見えたのか
AIが見つけたのは、たとえばこんな共通点だった。
- 同じルールの中で、一つずつ違うもの
- 見過ごされている小さな存在
- 見えないけれど、そこにいる気配
- 自然が作った色と、人の手が作った形
- 美しさの奥にある謎や意味
- 音から風景が生まれ、風景から物語が生まれること
- 一覧、図鑑、調査、編集
- 作ったあとの行き先まで納得できること
- 目的と枠があると、力が出ること
そして、私が楽しめるかもしれない表現として、架空の自然誌や図鑑、自然素材で作る小さな一点ものの連作、小さな標本室のような展示、土地の文化を記録する絵入りの地図や冊子、民話と自然と謎を組み合わせた物語、短い音の連作などが挙がった。
どれか一つに決めなさい、という答えではなかった。
むしろ、画家、工芸作家、作曲家、小説家と、使う道具によって肩書きを一つに絞るより、「何をしている人なのか」を動詞で捉えたほうがいいのではないか、とAIは言った。
見つける人。
観察する人。
集める人。
並べる人。
違いに名前をつける人。
見えない気配を形にする人。
小さな存在の愛おしさを、誰かに手渡す人。
最後にAIが出した「勝手な予想」は、こうだった。
身近な自然や土地から、見過ごされている小さな存在と気配を採集し、絵・物・音・言葉を使って、眺めたくなる小さな世界に編集する人。
この言葉を見たとき、不思議と、「意外なことを言われた」という感じはしなかった。
むしろ、ばらばらだと思っていたものが、すっと一枚の地図の上に置かれたような気がした。
私はやっぱり、芸術活動をしたい
AIと話したことで、「私は芸術家になれるのか」という問いに、資格や才能の有無で答えが出たわけではない。
けれど、もっと大事なことを改めて感じた。
私はやっぱり、芸術活動をしたいのだと思う。
振り返れば、ずっと何かを作ってきた。音楽を聴き、絵を見て、物語を読み、植物を拾い、糸を編み、粘土をこねてきた。小さなものの形や色を見つけては、「これ、かわいいでしょう」と誰かに渡そうとしてきた。
それらはまだ、一つの肩書きにはなっていない。
でも、肩書きが決まるまで始められないわけではない。
今、やってみたいことが三つある。
石の上に植物のイラストを描くこと。
自分で作曲し、アルバムを作ること。
そして、本を書くこと。
特に今は、本を書きたい。
ノンバイナリーやアセクシュアル当事者が出てくる本を書いて、一人でも多くの人にロールモデルを提案できるようなエンタメを作りたい。
さらに、noteで連載中の『恋の恋愛小説相談室』を、思い切りブラッシュアップして、Kindleで新訂版として出版したいとも考えている。
まずは、小説。
全部を同じ世界観にまとめなくてもいい。それぞれを実際に形にしてみて、終わったら、また次の一手を考えればいい。
そのときには、今日並べた昔から好きだったものたちが、きっとどこかで生きてくる。
芸術家という言葉は、まだ少しくすぐったい。
それでも、芸術活動をする人には、今日からでもなれる。
夫の何気ない一言から始まったこの話は、ひとまずそこにたどり着いた。
そして私は今、その結論に、かなりワクワクしている。

