「ママ」「お母さん」と呼ばれるたびに、少しだけ自分がそこにいない気がする。
私はそんな感覚を何度も味わってきました。
子どもがいるというだけで、「女性的な見た目=母親」「男女のカップル」という前提で見られること。
その中に、自分のアイデンティティが含まれていないような違和感。
この記事では、私自身の体験を通して、「子どもがいる=ママ・お母さん」というラベリングに対するモヤモヤと、その中でどう生きていくかを一緒に考えていきたいと思います。
子どもがいると「ママ」と呼ばれる前提に感じる違和感
子どもと一緒にいると、ほぼ100%の確率で「ママ」「お母さん」と呼ばれる。
病院、公園、スーパー、ショッピングモール、どこに行っても同じです。
たとえボーイッシュな服装をしていても、ニュートラルな雰囲気を意識していても、
「女性っぽい見た目だからママだろう」と判断されていると感じます。
私はノンバイナリー当事者です。
ノンバイナリーとは、「自分の性別が男性・女性のどちらかだけではないと感じるあり方」のことです。
だからこそ、「ママ」「お母さん」という言葉に、自分が含まれていないような感覚になることがあります。
特に印象的なのは、パートナーと一緒に保育園に登園したとき。
周囲から「パパ・ママ」と呼ばれたときに、同じ言葉でも受け取り方が違うことに気づきました。
パートナーは「当たり前のこと」として受け取る。
でも私は、そこに自分がいないような、少し寂しい気持ちになる。
その“ズレ”に気づいたとき、孤独を感じました。
「結婚しないの?」が消えた代わりに増えたもの
子どもが生まれる前は、「彼氏いないの?」「結婚しないの?」「子どもはまだ?」という言葉にストレスを感じていました。
でも、子どもが生まれると、その言葉はなくなりました。
その点では、確かに楽になった部分もあります。
ただ、その代わりに増えたものがあります。
それが、「母親である前提」です。
どこに行っても「ママ」と呼ばれる。
当たり前のように「母親」として扱われる。
以前の「まだ〇〇してないの?」という圧力とは違う形で、
今度は「母親」という前提が押し付けられるようになったと感じています。
どちらも、「本人のあり方」を見ずに決めつけられるという意味では、似ているのかもしれません。
伝えるか、伝えないかを決める私なりの基準
すべての場面で、自分のことを説明するわけではありません。
私は、「伝えるかどうか」を場面によって選んでいます。
例えば、保育園のように長く関わる場所では、
自分の性自認や、どう呼んでほしいかを伝えました。
家では、子どもから「ユウ」と呼ばれています。
その呼び方を大切にしたいと思い、保育園にもお願いしました。
すると、その日のうちに園長先生が職員の方に共有してくれて、
その日の午後からすぐに呼び方が変わりました。
この出来事は、本当に救われたと感じています。
「ここなら安心して子どもを預けられる」と思えた瞬間でした。
一方で、遊園地やお店などの一時的な関係の中では、あえて訂正しないことも多いです。
その理由はシンプルで、
「その場で説明するストレス」と「その後の関係性」を天秤にかけているからです。
長く続く関係なら、あらかじめ伝えないとストレスが積み重なってしまう。
でも、一度きりの関係なら、その場だけやり過ごす方が楽なこともある。
これが私なりの選択です。
ジェンダーニュートラルという考え方
ここで一つ、知っておきたい考え方があります。
ジェンダーニュートラルとは、「性別を前提にせず、誰にとっても中立な表現や対応をすること」です。
例えば、「ママ」「パパ」ではなく「保護者の方」「(苗字)さん」と呼ぶこと。
見た目や状況だけで性別を決めつけないこと。
こうした小さな配慮があるだけで、感じるストレスは大きく変わります。
ただ、現実として日常生活の中でジェンダーニュートラルな対応に出会う機会は、まだ多くはありません。
だからこそ、違和感を覚える場面が続く。
そして、「自分が言わなければ伝わらない」という状況も変わっていないと感じています。
自由でいられる場所は、自分で選んでいい
最近、私が強く感じていることがあります。
それは、「自由でいられるということは、縛られるものが少ない状態なんだ」ということです。
周りから価値観を押し付けられない場所では、
そもそも自分の性自認や好きになる相手を「悩み」として考える必要すらなくなります。
ただ「自分でいる」だけでいい。
今の私にとって、その感覚に近いのは
・自分で運営しているコミュニティで過ごす時間
・カミングアウトしている友人と自由な服で遊ぶ時間
そういう場所では、説明しなくてもいいし、守らなくていい。
自然に呼吸ができるような感覚になります。
全部の場所でそうなれなくてもいい。
でも、そういられる場所を持っていることは、とても大きな支えになります。
これからの不安と、それでも一緒に進みたい気持ち
正直に言うと、これからが少し不安です。
今は保育園という比較的関係が軽いコミュニティですが、
小学校やPTAなど、もっと深い関係が必要になる場面ではどうなるのか。
どこまで伝えるのか。
どう関係を築くのか。
まだ答えはありません。
でも、だからこそ思っています。
同じように感じている人と、一緒に考えていきたい。
一緒に迷いながら、少しずつ進んでいけたらいいなと。
まとめ
「子どもがいる=ママ・お母さん」という前提は、まだ社会の中でとても強いものです。
その中で違和感を抱くことは、決しておかしいことではありません。
伝えるか、伝えないか。
どこで自分らしくいるか。
その選択は、誰かの正解ではなく、自分で決めていいものです。
私はまだ途中です。
これからも迷いながら考えていきます。
あなたも、あなたのペースで大丈夫です。
あなたは、あなたのままでいい。

