「あなたも将来、結婚して、子どもを産むときにね——」
そんなふうに、まだ自分が結婚するかどうかも、子どもを持つかどうかもわからないうちに、誰かから「先回りのアドバイス」をもらった経験はありませんか。
しかもそれが、悪意のある言葉ではなくて、「あなたに苦労してほしくないから」という、本物の優しさから出てきた言葉だったとしたら。
ありがたいはずなのに、なぜか胸の奥に小さな違和感が残る。
そういう経験を、私もしてきました。
3児の親でありノンバイナリー。
30歳から「自分らしい生き方」を探求中のユウです。
先日、私が運営しているコミュニティに参加してくれた学生さん——ひろのさんとオフ会でお話する機会がありました。
そこで聞かせてもらったエピソードが、心に残っています。
今日はそのことを起点に、「結婚・出産が前提として組み込まれた善意のアドバイス」のしんどさについて、私なりの視点で書いてみたいと思います。
「同じ苦労をしないようにね」と言われたひろのさんの話
ひろのさんは、大学院で学びながら研究を続けている学生さんです。
これからもアカデミックの世界で生きていくことを視野に入れて、毎日真剣に取り組んでいる、とても聡明な方でした。
そんなひろのさんに、ある女性の教授がこんな話をしたそうです。
「私は育休を2年取ったあと、職場復帰がうまくいかなかったの。だから、あなたは同じ苦労をしないようにね」
それは、教授ご自身が経験してこられた、リアルでつらい現実。
そして、後輩のひろのさんに同じ思いをさせたくないという、まっすぐな心配。
——ただ、その言葉の根っこには、
「あなたもいずれ結婚して、子どもを産むよね」
という前提が、あまりにも当たり前のように置かれていました。
ひろのさんは、その場では「そうですね……」と流したそうです。
でも、心の中では複雑な気持ちだった、と話してくれました。
善意なのに、なぜしんどくなるのか
私はその話を聞きながら、いろんな感情が同時に湧いてくるのを感じていました。
まず、その教授ご自身も、女性として研究を続ける中で、たくさんの壁にぶつかってこられたのだろうということ。
その経験を、後輩の女性のために伝えてくれたのなら、それはとても貴重な優しさだということ。
だからこそ、「これは女性の先輩からの善意なのだ」という事実は、簡単には否定できません。
それでも——。
「結婚」「出産」「育休」「両立」が、自分の人生の標準コースとして組み込まれた状態で語られると、
そのコースに乗らない自分、もしくは、乗るかどうかまだ決めていない自分は、どういう立場で話を聞いたらいいんだろう。
結婚するかどうか、まだわからない。
子どもを持つかどうかも、わからない。
そもそも、自分のセクシャリティや、これからの生き方の方向性すら、模索しているところかもしれない。
そんなときに、「あなたはこういうルートを通る人だよね」と前提を置かれてしまうと、
そのルートを通らない可能性のある自分は、ふっと存在ごと薄くなる感覚があります。
「あなたもそうでしょ?」という前提の言い方は、やっぱり良くない
私は、ひろのさんの話を聞いたあと、自分の中でぐるぐる考えていました。
善意があったのはわかるけど、やっぱり、言ってはいけないんじゃないかな。
「あなたはきっと結婚するから」
「あなたはきっと子どもを産むから」
「あなたはきっと女性として生きていくから」
そういう前提のもとに語られた言葉は、たとえそれが本物の優しさから出ていても、
受け取る側の人生の選択肢を、知らないうちに少しだけ狭めてしまう。
そして、狭められた側は、その狭さに気づいたとき、誰のことも責められなくなります。
「悪気はなかったんだから」と自分を納得させて、モヤモヤを飲み込むしかない。
その構造が、私はやっぱり、しんどいなと思うのです。
教えてくれた人を責めたいわけではありません。
言われた側がわがままなわけでもありません。
ただ、社会の中に深く染み込んだ「こうあるべき」というルートが、
善意の言葉の中にも、しれっと紛れ込んでいるだけ。
そのことを、まず言葉にしておきたいと思いました。
「自分の好きな格好が似合っていれば、それでよくない?」と話したこと
ひろのさんとは、ファッションの話でも盛り上がりました。
ラルフローレンのポロシャツみたいな、少しメンズ寄りのスタイルが好きなのだそうです。
でも、周りの人から服装への干渉があって、なかなか自由に着られない、と教えてくれました。
これも、「結婚・出産前提の善意」と地続きの話だな、と聞きながら感じていました。
「あなたは女の子なんだから、こういう格好の方が似合うよ」
「彼氏ができないよ」「もっと女の子らしい服にしなさい」
そういう声の根っこにも、「あなたはこういうルートを通る人」という前提がある。
私は、ひろのさんに、こんな話をしました。
「自分の好きな格好が似合っていたら、もう開き直って、『似合うでしょ?』って言って着ちゃえばいいんじゃないでしょうか」と。
正解のあるアドバイスをしたかったわけではありません。
ただ、好きなことをできているときの自分がいちばん輝くということを、伝えたかったのだと思います。
好きなものを選ぶかどうかは、誰かが決めることじゃなくて、自分が決めていい。
そして、自分で決めた「似合う」を、堂々と外に出していい。
それは、結婚や出産の話にも、きっとつながっています。
「私はこういう人生を歩むかもしれないし、歩まないかもしれない。今はまだ、わからない」
そう答える権利を、誰もが持っていていいはずなのです。
ロールモデルが少ない世界で、生きていくということ
ひろのさんは、私の発信を見て「自分も同じだ」と感じてくれて、
さらに「ロールモデルとして見ている」とまで、言ってくれました。
正直に言うと、その言葉には、胸が熱くなりました。
私は何かの正解を持っているわけではありません。
3人の子どもを育てながら、毎日ぐらぐら揺れながら、自分のセクシャリティと向き合っているだけの、ただの一人の親です。
それでも、「あなたの存在が支えになる」と言ってもらえることがあるのは、
きっと、社会の中にまだ「こういう生き方をしている人」のサンプルが、圧倒的に少ないからなのだと思います。
ロールモデルが少ない世界で生きていくのは、しんどい。
誰の真似をすればいいのかわからないし、
「これでいいのか」と確かめられる相手もなかなか見つからない。
だから、ひろのさんのような人が、私の発信に少しでも安心を見つけてくれたなら。
それは、私の発信を続けてきた理由そのものだなと、改めて感じました。
そして、もしいつかひろのさんが、本当にアカデミックの世界に羽ばたいていくなら——。
その時はぜひ、私のような立場の人間を、研究の対象として聞き取ってほしい。
そんなお願いも、お話の終わりにしてみました。
「こんな違和感を抱えて生きている人がいる」という声を、誰かが学術の言葉で残してくれること。
それは、まだ言葉になっていない誰かの安心に、きっとつながると思うから。
あなたの人生の前提を、誰かに決めさせなくていい
「結婚するなら」「子どもを産んだら」「女性として生きていくなら」
そういう前提で語られる言葉に、もしモヤッとしたことがあるなら。
そのモヤモヤは、わがままではありません。
あなたの人生の主語を、あなた自身に取り戻したい——という、大事なサインなのだと思います。
相手の善意は、ありがたく受け取っていい。
でも、その前提までは、引き受けなくていい。
「ありがとうございます。でも、自分はまだ未来のことはわからないので、いろんな可能性を考えてみますね」
そんなふうに返すだけでも、自分の輪郭が少し戻ってくる感覚があります。
ひろのさんが「そうですね……」と流したのも、きっと、自分を守るための優しい選択でした。
そのうえで、心の中で「自分の前提は自分で決める」と持ち直してくれていたら、私は良かったなと思います。
まとめ
社会の前提は、すぐには変わらないかもしれません。
でも、「これは、私の前提とは少し違っているな」と気づける人が、一人ずつ増えていくこと。
そのささやかな違和感が、誰かに語られて、誰かに届くこと。
それ自体が、もう変化のはじまりなのではないかと、私は思っています。
あなたも、あなたのままでいい。
誰かの「あなたはこうなるはず」に、無理に答えなくていい。
そう思える瞬間が、少しずつ増えていきますように。
そして、もし今日のひろのさんのように、何かを誰かと話したくなったら。
私のコミュニティの扉も、ずっと開けています。
お話ししたくなたら、いつでも遊びに来てくださいね。
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