私がXジェンダーであることをカミングアウトしてから、夫婦の間には、はっきり言葉にされない「触れてはいけない空気」が生まれていました。否定されているわけでも、理解されているわけでもない。ただ、話題にしないことで成り立っている関係。その状態が、私にはとても苦しかったのです。
「これ以上こじれたら、もう修復できないかもしれない」
私は、夫との会話のたびに、そう思っていました。
そんな中で試し始めたのが、「相手を責めない伝え方」、いわゆるIメッセージでした。魔法のようにすべてが解決したわけではありません。それでも、会話の空気が少しずつ変わっていったのは確かです。
カミングアウト後、夫婦の会話が止まってしまった理由
夫はLGBTQやセクシュアルマイノリティについて、「興味がない」「巻き込まれたくない」という姿勢でした。カミングアウト後も、その距離感はほとんど変わりませんでした。
強く反対されたわけではありません。でも、「話題にしない」という選択が続くことで、私は「私の大事な部分は、ここには置いてはいけないんだ」と感じるようになっていました。
「私を受け入れてくれない人と、これから先も一緒に生活していくのはしんどいかもしれない」
そんな考えが、頭から離れなくなっていました。
距離が縮まったことで、我慢が限界に近づいた
転勤が多かった夫が家を空けがちだった頃、育児も家のことも、私は一人で回していました。「自分でやるしかない」という感覚が、いつの間にか染みついていました。
一緒に生活する時間が増えると、これまで感じないようにしてきた疲れや不満が、隠しきれなくなりました。
このまま我慢を続けたら、生きていけない。そう感じたことが、自分の気持ちの伝え方を変えようと思ったきっかけでした。
そこで私は、自分の気持ちを伝える方法として「Iメッセージ」を使ってみることにしました。
相手を責めない伝え方としての「Iメッセージ」
Iメッセージとは「相手を変える言い方」ではない
Iメッセージとは、「あなたが悪い」ではなく、「私はこう感じた」と、自分を主語にして気持ちを伝える方法です。
よく「相手を傷つけない伝え方」と説明されますが、私自身は少し違う意味で捉えています。
それは、相手を変えるための技術ではなく、自分を守るための伝え方だということです。
責める言い方を避けるのは、相手に配慮するためだけではありません。
自分の気持ちを、否定せずに外に出すための方法でもあるのです。
心理学的背景:アサーティブ・コミュニケーションとは
心理学では、Iメッセージはアサーティブ・コミュニケーションという考え方の一部とされています。
アサーティブとは、「攻撃」と「我慢」の中間にある自己表現です。
・攻撃:相手を責めて関係を壊す
・我慢:自分を押し殺して関係を保つ
・アサーティブ:自分も相手も尊重しながら伝える
ここで大事なのは、どれが正しいかではなく、どれが安全かという視点です。
なぜ「責めない」と会話が止まりにくくなるのか
人は責められると、無意識に身構えます。
これは性格の問題ではなく、脳の仕組みに近い反応です。
「あなたはいつも〜」「なんで〜しないの?」と聞いた瞬間、
相手の意識は「理解する」より先に、「自分を守る」方向に向かいます。
一方で、「私はこう感じた」「私はこう思った」と言われると、
相手は反論よりも、「そう感じたんだ」と受け止める余地が生まれます。
これは、正しさの話から、体験の話に論点が移るからです。
夫婦関係では「理解」よりも「安心」が先に必要だった
私自身、カミングアウト後の夫婦関係で痛感したのは、
「わかってもらうこと」よりも、「安心して話せること」の方が先だということでした。
Iメッセージを使い始めてすぐに、夫が理解してくれたわけではありません。
それでも、「私はこう感じている」と言葉にできたことで、
少なくとも私は、「自分の気持ちを裏切らずに済んだ」と感じました。
Iメッセージは、関係を良くするための魔法ではありません。
でも、関係の中で自分が壊れないための、安全装置にはなり得ます。
Iメッセージが向いていない場面もある
誤解しないでほしいのは、Iメッセージが万能ではないということです。
・感情が爆発しているとき
・相手が全く聞く姿勢を持っていないとき
・まず距離を取る必要があるとき
そんな場面では、無理に使わなくていい。
Iメッセージは、「いつでも使わなければいけない正解」ではありません。
使えるときに、使える形で使う。
それくらいの距離感で、十分だと私は思っています。
参考資料:
[1]Alberti, R. & Emmons, M. Your Perfect Right
[2]日本アサーション研究会編『アサーション入門』
Iメッセージの具体例20個
日常の疲れ・キャパオーバー時
- 私は今日は体調が悪くて、いつも通りに動けないから休ませてほしい
- 私は今かなり疲れていて、一人で全部やるのがつらいから手伝ってほしい
- 私は今日は少し静かに過ごしたい気分
- 私は今、余裕がなくて判断に時間がかかりそう
- 私は今日しんどいから、助けてもらえると本当に助かる
育児・家事をめぐる場面
- 私はこの作業を一人で続けるのがしんどいから、手伝ってほしい
- 私はあなたにも育児の大変さを一緒に感じてもらえると心強い
- 私は今、子どもの対応で頭がいっぱいだから、家事を手伝ってほしい
- 私は今日は〇〇をお願いできると助かる
- 私はこの役割を一人で抱えるのがつらくなってきている
言い方・態度に傷ついたとき
- 私は今の言い方、傷ついた
- 私はその言い方をされると悲しい
- 私はその言葉を聞いて、すごく戸惑った
- 私は〇〇って言われると、自分を否定されているみたいに感じる
- 私は今ショックでうまく話せない
怒り・モヤモヤがあるとき
16. 私は今、イライラしてるから冷静じゃないかもしれない
17. 私は今の状況に納得できていない
18. 私はいまの態度、すごくモヤモヤした
19. 私は今〇〇にめっちゃムカついた
20. 私はイライラしているから、少し時間を置いてから話したい
Iメッセージがうまくいかなかった日も、何度もあった
感情が強すぎて、Iメッセージにならない日
正直に言うと、毎回うまく伝えられるわけではありません。
疲れが限界だった日、子どもがなかなか寝なくて、余裕がゼロだった夜。
そんなときは、「私は辛いから育児を手伝ってほしい」と言いたいところを、「もうほんとウザい!一度自分で全部やってみろ」と声を荒げる日も。
言い終わったあとで、「やってしまったな…」と思うこともありました。でも、その瞬間はどうしても、感情の方が先に出てしまうのです。
Iメッセージでも、防衛的な返事が返ってきたとき
「私は今、しんどいから手伝ってほしい」と伝えたとき、
「俺だって大変なんだよ」という言葉が返ってくることもありました。
その瞬間、「ああ、やっぱり伝え方を変えてもダメなのかな」と絶望感に打ちひしがれる日もありました。
責めないように言ったつもりでも、相手が受け取る準備ができていないと、会話は止まってしまうのです。
それでも続けた理由と、やめなかった判断基準
続けるか、やめるか。
私が基準にしたのは、「相手が変わるかどうか」ではありませんでした。
Iメッセージを使うことで、
・自分の気持ちや状況を相手に伝えられる
・あとで一人になったとき、モヤモヤを残さないようにする
その2つを満たしている限り、続けようと思いました。
子どもがいる家庭だからこそ感じた影響
夫が子どもを叱るときに、「パパは悲しかった」「それはしてほしくなかった」と言い換えているのを見たとき、少し驚きました。私の言い方がこういう形で伝わっているとは!
Iメッセージも完璧ではありません。でも、感情を理由にして伝える姿を、子どもが自然に見ている。そのことが、「このやり方は、今だけじゃなく、先にもつながるかもしれない」と思えた理由でした。
Iメッセージを使うようになって感じたこと
Iメッセージを意識して使うようになってから、夫婦の会話そのものが劇的に変わった、という実感は正直ありません。夫の態度が大きく変わったわけでもないです。
でも、私自身の中では、いくつか思いがけない変化がありました。それは自分との付き合い方が変わったことです。
まず感じたのは、語彙力が増えたことでした。
Iメッセージで伝えようとすると、「ムカつく」「しんどい」で終わらせずに、「今の私はどういう状態なんだろう」と一度立ち止まる必要があります。
疲れているのか、焦っているのか、悲しいのか。それを相手に伝わる言葉にしようとすると、「もっと合う表現はないかな」と自然に考えるようになりました。
その積み重ねで、少しずつ「説明すること」に慣れてきました。
言葉を「探す癖」がついた感覚です。これは、思っていた以上に大きな副産物でした。
次に感じたのは、感情の起伏が以前より小さくなったことです。
怒りや悲しみがなくなったわけではありません。ただ、「疲れているな」「今ちょっと余裕がないな」と気づくタイミングが、かなり早くなりました。
Iメッセージを使うには、自分の感情を言葉にする必要があります。そのせいか、自分の状態を感じ取るセンサーの感度が上がったように思います。
結果として、限界まで我慢して一気に爆発するよりも、しんどさを小出しにできるようになってきました。これは、私にとって大きな変化でした。
そして一番大きな効果は、自分の気持ちを表に出しやすくなったことです。
夫が大きく変わったわけではありません。それでも、「言ってもいい」「感じたことをそのまま出していい」と思えるようになったことで、私自身がかなり楽になりました。
同じ場所で立ち止まっている人へ
わかってもらえない苦しさは、とても深いものです。
だから、伝えなくてもいい日があっていいし、距離を取る選択ももちろん必要だと思います。
Iメッセージは、相手を変える魔法ではありません。でも、自分を守るための「安全装置」にはなります。
もしこの記事を読んで興味が湧いたという方は、試しに使ってみてください。
使う時は、お互いに冷静なタイミングがおすすめです。
あなたは、あなたのままでいい。

