「恋愛的に繋がればハッピーエンド!」
推し活をしていると、そういう結末ばかり見かけることに気づきました。
それまでずっと友情で繋がっていたキャラクターたちが、最終的に恋愛関係になる。
周りの人たちはそれを「素敵!」「良かった!」と喜ぶ。
でも、私はいつもそこで「あ、残念」と思ってしまうんです。
この記事では、そんな「残念な気持ち」をなぜ抱いていたのか、推し活を通じて見えてくる「別の形の関係性」について考えたことを書きました。
推し活で感じる「残念」!と思うこと。
私は「ズートピア」という映画が好きです。
もう字幕版、吹き替え版を合わせて、もう10回以上観ています。
狐と兎が主人公で、性別的には狐が男性、兎が女性。
でも、この二人の関係は「恋愛」ではなく「友情」として描かれている。
二人が深く信頼し、互いに支え、一緒に困難を乗り越える。
その関係性が美しい。
この2人の間にある愛情は本当に尊くて、私の「理想の推し」です。
でも、そういう作品ばかりではない
でも、現実はそうではありません。
多くの作品では、それまでずっと友情で繋がっていたキャラクターが、最終的に「恋愛関係になる」という展開があります。
それまで恋愛的な描写が一切なかったのに、です。
そういう時、私はいつも思うんです。
「えー、なんで?」
「それまでそんな雰囲気全くなかったじゃん」
その「残念さ」の正体は何か、ずっと考えていました。
二次創作を見ながら感じる「葛藤」
私はBL二次創作も大好きです。
学生の頃はpixivなどで、原作では友情で描かれているキャラクターたちが、ロマンティックな関係として創作されているのを、時間を忘れて読み漁っていた頃もありました。
お気に入りの作品はどれも絵がやストーリーが美しくて、ファンならではの視点を見せてもらえて、面白いし、楽しい。
でも同時に、「原作での熱い友情を上回ることはできないな」という気持ちが拭えない。
二次創作として「別の解釈」を楽しみながら、でも「でも本当の関係性はこれじゃない」という気持ちがある。
その「葛藤」そのものが、二次創作を嗜むときの醍醐味でもあるのかなと思います。
友情と恋愛どちらかに当てはまらない「愛情」がすき。
私の中には「友情と恋愛の境目が曖昧」という感覚があります。
創作物の中で「これは恋愛・友情どっちの表現なんだろう」という曖昧さや、それを上回る2人の「愛情」が作品から感じられるものが好きです。
その曖昧さの中に、現実の複雑な人間関係が反映されている気がするんですよね。
ちなみに、友情と恋愛の境目が曖昧という感覚には「クワロマンティック」というラベルもあったりします。
クワロマンティックについてはこちらで詳しく書いています↓

「バディー」という関係性への愛着
私が大好きなジャンルは「バディー」が出てくる物語です。
ドラマは「シャーロック」「トリック」「スペック」。
アニメや漫画は、「ズートピア」「夏目友人帳」「サイコパス」「ACCA」「バナナフィッシュ」「坂道のアポロン」これまで見てきたいろんな作品で、いいなあと思ったのは大体、恋愛に発展しない、でも深い絆のあるバディ系の物語ですね。
本も過去のハマった作品を並べてみると「No.6」「都会のトムソーヤ」「怪盗クイーンシリーズ」「博多豚骨ラーメンズ」「バチカン奇跡調査官」その他、ミステリー小説でバディ系のやつは大体好き。
深い信頼。相互理解。一緒に困難を乗り越える絆。
その絆が、恋愛という一言では表しきれない、複雑な関係であるという点が、私にとっては最高の推しポイントなんだと思います。
なぜ「バディー」なのか
それは、バディーという関係性には「恋愛を超えた信頼」があるからです。
恋愛には「好き」という感情があります。でも、その気持ちは不安定なもので、いつ消えるかわからない風前の灯のようでもあります。
一方で、バディーには「信頼」があります。その信頼は簡単には崩れない。
それは、一時の気持ちではなく長い時間をかけて積み上げられてきた絆だからです。
その信頼関係が、私にとっては最高の愛の形だと思うのです。
推し活をしていて気づいたのは、私は「この関係性だから美しい」と思える作品が大好きだということ。
二人の関係が恋愛に発展する必要がない。
二人が深く信頼し、互いを尊重し、一緒に歩んでいく。
その「ありのままの関係性」の中に、最高の形がある。
だから、その関係性を「恋愛」に変えてしまう作品を見ると、「あ、残念だな」と思うんです。
それは「恋愛が嫌い」じゃなくて、「この形が好きだった」という気持ちなんだと思います。
恋愛関係になるなら「なぜそうなったか」が見たい
推し活の中で、私が最も大事にしていることがあります。
それは「なぜそうなったのか」という「因果関係」です。
少女漫画ならコテコテの恋愛系より、コメディが好き。
BLも、精神的な繋がりを深く感じる作品の方が好き。
恋愛の描写があってもいい。でも「すぐに性行為に雪崩れ込む」のはあんまり好きじゃない。
代わりに、見たいのは:
- お互いを意識するようになったきっかけ
- その人物がこれまでに歩んできた歴史
- 相手との絆ができるまでにあった出来ごと
- それによる心情の変化
- 関係性の進展における伏線
その「プロセス」がしっかり描かれていることが、私にとって最も重要です。
それらを一緒に読み進めていくことで、私自身も深くキャラクターや物語に没入できるから。
急激な変化への違和感
推しの二人が恋愛関係になったとしても、「今までの雰囲気が変わらないんだったら」推せます。
でも「急に、そんなこと微塵もないところからイチャイチャし始めたり」「個性を感じない振る舞いをするようになったら」、引いてしまいます。
なぜなら、それは「二人のキャラクター性が失われている」と感じるからです。
関係性が変わるなら、その変化に見合った「心情の描写」「伏線」が欲しい。
でなければ、それは「二人が『恋人のテンプレート』になってしまった」と感じて非常に残念な気持ちになるからです。
推しを振り返って、気づいたこと
思い返してみると、これはすごく興味深いなあ、と思うんです。
世の中を見ていると、やっぱり「恋愛が最高」という前提で動いてる気がするんですよね。
結婚式には呼ばれるけど、友人との深い関係を祝う儀式はない。
別に、友人との最高の日を記念日にしてお互いの愛情を確かめ合ってもいいと思うんですよね。
自分の人生を見返してみると、時には「友人との繋がり」「バディーとの関係」の方が、恋愛より深く、恋愛より重要だと感じることがありました。
推し活を通じて、そういう「別の形の関係性の美しさ」を感じていたい。それが、多分、本当の私の気持ちなんだと思うんです。
友情よりも深いけど、恋愛関係ではない絆には、QPR(クイア・プラトニック・リレーションシップ)という関係性もあります。興味がある方はぜひ合わせて読んでみて欲しいです↓

まとめ
推し活は、ただ好きなキャラクターを応援する行為ではなく、「自分の価値観を確認する」行為でもあるのだなあと、今回記事を書いていてしみじみ思いました。
「この関係性だから美しい」と思える作品との出会い。
「バディーという関係性を尊重する」という自分の気持ち。
「一般ウケより、この関係性のままでいてほしい」という、自分の中の声。
そういう関係性を見たいという気持ちが、推し活を通じて表現されているんだと思うんです。
恋愛が嫌いなわけではない。
でも、恋愛「だけ」が正解ではない。
その「別の可能性」を見せてくれる作品と、その中のバディーたちを、これからも推し続けたいです。

