ノンバイナリーの親として入園式に参加して感じたこと
今日は子どもの保育園の入園式だった。
私はそこにジーパンとニットで参加した。
特別な日ではあるけれど、
私の中では「日々の保育園生活の延長」くらいの認識で、
本当にいつも通りの格好でその場にいた。
でも、会場に入ってすぐ思った。
「ああ、こういうときはフォーマルな服装がメジャーなのか」
ほとんどのお父さん、お母さんが、スーツやきれいめな服装で来ていた。
もちろんカジュアルな服装の人もいて、
服装自体は自由な場だったと思う。
それでも、その場に流れている空気としては、
「こういうときは、こういう格好をするもの」という
なんとなくの“前提”があるように感じた。
「ちゃんとしている親」と自分を比べてしまった瞬間
その光景を見て、居心地が悪いわけではなかった。
むしろ、
「子どもの節目を大切にしたい」
そんな気持ちが伝わってきて、素敵だなと思った。
ちゃんとした服装で来ていること自体が、
その人なりの「大切にしている」の表現なんだろうな、と。
ただ、その中でふと立ち止まる。
じゃあ、私はどうすればよかったんだろう。
ここで引っかかっていたのは、
「フォーマルを着なかったこと」そのものではなくて、
もしフォーマルを選ぶとしたら、
私は何を着るんだろう?
という問いだった。
なぜカジュアルな服装を選んだのか|子育て中のリアル
今回の服装は、入園式だから選んだ服では全くない。
完全に日常の延長だった。
普段から、
・子どもが汚してもいい服
・動きやすい服
を選ぶことが当たり前になっている。
1歳と3歳の子どもを連れて出かけるとき、
「きれいな服を着る」という発想自体がほとんどない。
どうせ汚れるし、
すぐにしゃがんだり、抱っこしたりすることになる。
だから自然と、今回もいつもの延長で服を選んでいた。
それに加えて、正直なところ——
朝、自分の顔をしっかり鏡で確認した記憶もないくらい、
毎日が慌ただしい。
自分がどんな服を着たいか、なんて考える余裕もなくて、
ただ「今日を回す」ことに精一杯。
そんな日常の中に、入園式があった。
だから今回の服装は、
「選ばなかった」というよりは、
「考えも及ばなかった」という方が近い。
それでも残った問い|もしフォーマルを選ぶなら
でも、だからこそ余計に思った。
もし、あらためてフォーマルを選ぶとしたら、
私は何を着るんだろう。
いわゆるレディースのスーツなのか。
スラックスにシャツのようなスタイルなのか。
メンズライクなスーツなのか。
どれも「あり」な気がするし、
どれも少しずつ違う気もする。
「正解」はきっとひとつじゃない。
でも、自分の中でしっくりくるものも、
まだはっきりとは見えていない。
その曖昧さが、今回一番残った感覚だった。
ノンバイナリー・Xジェンダーの親として感じた“社会の前提”
もうひとつ印象に残ったのは、
「呼ばれ方」だった。
保育園では自然に、
「お母さん」「お父さん」
と呼ばれる。
それは当たり前のことだし、
その仕組み自体を否定したいわけではない。
ただ、
「ああ、この世界はそういう前提でできているんだな」
と、改めて感じた。
特に、こういう行事の場では、
その前提がよりはっきりと現れる。
日常の中ではあまり意識しないことでも、
こういう節目の場面で、輪郭が見えてくる。
ノンバイナリーの親が直面する課題|どう説明するか
以前お世話になっていた保育ママさんには、
「ユウと呼んでほしい」と伝えていたし、
自分のブログや活動も共有していた。
でも、新しい場所では、
当然ながら何も伝わっていない状態から始まる。
だから、自分のことをまた一から説明する必要がある。
日本ではまだ、海外のように、
最初から呼び方や性別のあり方を確認し合う文化は一般的ではない。
例えば、自己紹介の時にshe/he/themどれで呼んで欲しいです。と伝える文化がない。
だからこそ、
・どこまで伝えるか
・どう伝えるか
それを自分で選んでいく必要がある。
保育園での呼ばれ方も、
自分のあり方の伝え方も、
これから少しずつ試していくことになると思う。
正直、どうなるかはわからない。
でもそれは、
少し不安でもあり、
同時に少し楽しみでもある。
入学式の服装どうする?ノンバイナリーの親としてのこれから
次に同じような場面があったとき、
少しフォーマルに寄せるかもしれないし、
また同じようにカジュアルで行くかもしれない。
メンズスーツを着ていくかもしれないし、
無難なスラックススタイルでいくかもしれない。
どれを選ぶかは、まだ決めていない。
ただひとつ言えるのは、
「どれが正しいか」ではなく、
「自分がどう在りたいか」で選びたい、ということ。
まとめ|正解がわからないままでもいい
入園式という場は、
・親としての役割
・社会の前提
・自分らしさ
そのすべてが重なる場所だった。
だからこそ、
「ちゃんとした格好」ってなんだろう。
私は、どこに合わせればいいんだろう。
そんな問いが残った。
正解はまだわからない。
でも、
正解がわからないままでも、
そのまま立ち止まって考える時間も、
きっと悪くない。
そんなふうに思えた一日だった。

