※ネタバレあり
『ズートピア』と『ズートピア2』をまだ知らない人へ
──この物語がどんな作品なのか、簡単に
ズートピアは、
動物たちが人間のように暮らす大都会「ズートピア」を舞台にしたディズニー映画です。
ウサギの警察官・ジュディ・ホップスと、
キツネの詐欺師・ニック・ワイルドがバディを組み、
街で起きる事件の真相を追っていくミステリー仕立ての物語。
一見すると明るくポップなアニメですが、
その中身はとても社会的です。
- 「小さいから無理だろう」と決めつけられること
- 「その種族だから危険だ」と恐れられること
- 偏見が、善意の顔をして存在していること
前作『ズートピア』は、
人種・属性・性格などによる偏見や差別を、
動物たちの世界に置き換えて描いた作品でした。
子ども向け映画でありながら、
「これは大人に刺さる作品だ」と話題になった理由でもあると思います。
『ズートピア2』は、何が違うのか
そして続編である ズートピア2 は、
前作の世界観を引き継ぎながら、
さらに一歩踏み込んだテーマを描いています。
『ズートピア2』で中心に置かれるのは、
「偏見」よりも、もっと手前にあるもの。
それは、
「そもそも存在を想定されていない人たち」の問題です。
今作では、
ズートピアの街には“存在しないはず”とされてきた
爬虫類のキャラクター・ゲイリーが登場します。
この設定によって物語は、
「誤解される存在」だけでなく、
「最初から枠の外に置かれてきた存在」にも視点を広げていきます。
社会的な解釈ができるからこそ、大人にも刺さる
『ズートピア2』は、
観る人の立場や経験によって、
かなり受け取り方が変わる作品だと感じました。
- 社会的マイノリティの物語として観る人
- 移民の問題として観る人
- 多様性教育の延長として受け取る人
- バディもの・刑事ドラマとして楽しむ人
どの入口からでも観られる一方で、
「自分はどこに立っているのか」を
問われているような気分にもなります。
だからこそ、
子どもがワクワクしながら観られる作品であり、
同時に、大人が立ち止まって考えさせられる映画でもある。
『ズートピア2』は、
“やさしい顔をした社会の不均衡”を描いた、
強いメッセージを持つ続編だと感じました。
「存在しないはずの種族」として描かれたゲイリーに、自分を重ねた
──Xジェンダー/ノンバイナリーとして観た『ズートピア2』感想
『ズートピア2』でゲイリーの置かれている状況を知る中で、
「これはゲイリーに共感せざるを得ないだろうな」と感じていました。
それは、爬虫類のゲイリーが
「ズートピアには存在しないはずの種族」として描かれていたからです。
いないことにされる。
最初から想定されていない。
説明も、理解も、制度も用意されていない。
その設定が、
Xジェンダー/ノンバイナリーという存在が社会の中で置かれてきた立場と、
重なって見えました。
ゲイリーが最終的にどうなってしまうのか、
目が離せませんでした。
ゲイリーの執念深さにヘビっぽさが出ていた
ゲイリーはどんなに過酷な状況にあっても終始、
「大丈夫」「なんとかなる」と自分や周りの生き物たちを励まし続けます。
時には、
「この場面でなんで、大丈夫なんて言えるんだ?」ということさえありました。
だから、これは蛇の執念深さをポップに可愛く描いた結果なのかな、
と解釈しています。
ゲイリーは、
自分たちの種族を誇りに思っていて、
真実が明らかになることを疑わず、信じていました。
たとえ、
仲間だと思っていた存在に裏切られても。
それでも「信じる」という選択を手放さなかった。
それは、
一人で世界を変えようとする強さじゃなくて、
誰かと一緒に進むことを信じる強さだったと思います。
この強さは、現実ではそう簡単に持てるものじゃない。
どんな状況にあっても、自分の本来の目的を見失わない冷静さ、
大胆な行動力、したたかさ、
そういうものを持ち合わせていないと難しい。
一見能天気そうに見えるゲイリーですが、
なかなか食えないやつですね。
「声を上げない人たち」が描かれていたこと
ズートピア2で、とてもリアルだと感じたのは、
爬虫類の中にも「声をあげない(あげられない)人たち」が描かれていたことでした。
彼らは、
理不尽な状況に耐え、
住んでいた街を追われ、
別の場所へ、また別の場所へと移動しながら生きている。
生き延びるために、
不満を抱えながらも、
今の生活を選んでいる人たち。
Xジェンダー/ノンバイナリーの人たちが生きる現実を見ているようでもありました。
だれもが声をあげられるわけじゃない。
声をあげることを求められているわけでもない。
でも、声を上げないこと=諦め、ではない。
そんな、もどかしさや悔しさを爬虫類のキャラクターたちから感じて、
とても共感しました。
今作のジュディとニックは、「革命家」だった
正直に言うと、
今回のジュディとニックの行動は、警察官2人で「事件を解決」した、というよりも
「革命を遂げた」と感じました。
たった一匹の蛇を救うために、
警察である自分たちが追われる側になる。
テロリスト扱いされる。
フィクションだから観られるけど、
現実だったら、とんでもないリスクです。
私は、あんなふうに
命知らずに突っ込める革命家にはなれない。
最高の相棒が常にいるわけでもないし、
正直、怖い。
だから、この二人に背中を押してもらいたいけど、
同じように行動することは難しいでしょう。
リアルの世界で存在感のない私は、
革命ではなく、調和を望んでいるのです。
バディの物語として観たとき、胸に刺さったシーン
個人的に一番刺さったのは、
ジュディの猪突猛進を心配したニックが、
彼女を止めようとしてバディの危機を迎えるシーンです。
私は性格的に言えば、完全にジュディ側の人間です。
思いついたら即行動して、あとから反省するタイプ。
だから思いました。
ニックみたいなバディ、欲しすぎる。
ニックにとっても、ジュディにとっても、
お互いが初めての親友で、初めてのバディ。
失うのが怖くて、大切で、
不器用に気持ちを伝え合っている姿が尊かった。
「私も、
こんなふうに信頼してくれて、
心配してくれて、
横に立ってくれるバディが欲しい」
そう感じました。
私は革命家じゃない。でも、ロールモデルにはなりたい
先日参加したイベントで、
「Xジェンダーやノンバイナリーのロールモデルが少ない」
という話を聞きました。
そこで思ったんです。
たくさんの人から脚光を浴びなくてもいい。
でも、必要としている人に、
「こんなサンプル1がいるよ」と伝えられたらいい。
完成された姿じゃなくて、
迷いながら生きている途中の姿を、そのまま伝えていきたいと思いました。
だから私は、発信を続けたい
困っている人のバディになれたら、かっこいい。
でも同時に、
私自身も理解されたいし、知ってもらいたい。
だから私は、
まずは私を信頼してくれる読者やファンを増やすために、
発信を続けていきたいと思いました。
革命じゃなくていい。
大きな声じゃなくていい。
存在しないはずの種族が、
確かにここにいることを、
静かに、でも確実に残していく。
『ズートピア2』を観て、
今の自分がどんな生き方を選びたいか、
じっくり考えてみたいなと思いました。

