3児の親でありXジェンダー。
30歳から「自分らしい生き方」を探求中のユウです。
自分のセクシャリティを受け入れてからも、
心がざわついて、
知っている人が誰もいない遠くの国で一人星を眺めたくなったり、
どこまでも暗くて深い海の底に座っていたくなったりします。
感受性が強い私は、
小さいころから色や音、匂いに敏感でした。
印象深い思い出の写真を見ると
その時の外気の香りを一緒に思い出したり、
音楽を聴くと、色も景色のように流れている感じがします。
しかし、その感覚は良いことばかりではなく、
人から浴びせられた怒声や
叩かれた時の音、頭皮の感覚、酒の匂い、
そういうものも覚えています。
豊かな音や景色、香りは私を救ってくれるわけではなく、
山や海のように、
ただそこに存在しているのです。
そして、
この歳になるまで、
私はできるだけそれらの感覚を
「受け入れない」という選択をとっていました。
できるだけ鈍いふりをして、
感覚に従うのをやめていたのです。
それは、
豊かな感覚に身を任せるほど、
それとは反対に心がどんどん脆くなっていくからです。
感覚が研ぎ澄まされている時は、
脳がそのまま露出した状態で歩いているような感じです。
風が吹いて枯れ葉が掠めただけでも
ダメージを負ってしまいそうになります。
自分の感覚に浸りながら
感じたものをそのまま表現して、
誰かが批判をしたり、否定する言葉を聞いてしまったら、
グサっと刺さって立ち直れなくなってしまいます。
私にとっては感覚を研ぎ澄ませて自分を表現することと、
強いハートを持って人間らしく生きることは
トレードオフの関係にあるのです。
だから、
自分を表現するということに対して、
ずっと恥ずかしさや、恐怖、居た堪れなさを感じていました。
しかし、それと同じくらい
本当は誰かに伝えたい、
私という人間を見てもらいたい、
知ってもらいたい、という憧れもずっとあったのです。
今こそ、自分を表現する時だと思った
そんな繊細な心を抱えながら、
30年生きてきて、
今。
自分のセクシャリティを
ブログやラジオという形を通じて、
知らない誰かにカミングアウトすることは
「私を表現している」ことになると気が付きました。
それは多分、
本当はずっとやりたいと思っていたことで、
私の中で燻り続けていた感覚たちが
早く解放してくれ!ドンドンドン!と
重い扉を叩いているようでした。
そのきっかけをくれたのが、
自分のセクシャリティと向き合うことだったのです。
でも、
これから何かを表現しようと思っても
どうしたら良いのか見当もつきませんでした。
だから、とりあえず
「なりたい自分」という目標を掲げながら
いろいろな形で、
目標を達成する過程を表現してみることにしたのです。
1年前の自分はラジオを始めるなんて
想像もしていなかったことでしょう。
しかも、自分の顔を表に出して、
配信をしているなんて。
あの、引きこもりで恥ずかしがり屋の私が、
一体どうしたことか、と驚くに決まっています。
そしてこれから、
私はYouTubeもInstagramも
自分に合った表現に落ち着くまでとりあえずやってみよう、
ということにしたのです。
「なんでも自由に表現して良いよ」
「誰もあなたのことを気にしていないし、あなたも気にしなくて良い」
「思う存分、自分の感覚に浸ってみたら」
そんなふうに自分に声をかけて、
これからの活動を楽しんでいきたいです。
絵も描きたいし、
作曲もしてみたい。
歌を歌いたいし、
演奏もしてみたい。
文章を書きたいし、
良い声でお話をしてみたい。
こんなことたちを、
全部やってみても良いなんて!
「本当にそんなことして良いの?」
「いいよ。思う存分楽しんで。」
「今まで閉じ込めていてごめんね。」
「ありがとう、いってきます。」