NHKの番組
虹クロ
「女性らしさを押し付けられるとモヤモヤする」の回を観ました。
今回の相談者は、18歳のノンバイナリーの子。
日常の中で感じる、こんなモヤモヤが紹介されていました。
- 美容室で当たり前のように女性誌を置かれること
- 面接マナーが男女別で決められていること
- おばあちゃんに会うたび「女の子が孫で本当によかった」と言われること
どれもとても些細に見えるけれど、
積み重なると確実に心に残る違和感です。
正直に言うと、私はこの話を聞きながら
「わかるな……」と何度も頷いていました。
メンターの回答に感じた“正しさ”と違和感
番組のメンター4人の回答は、とても大人でした。
- 面接マナーについては
「生まれた時の体の性に合わせたマナーを一度は学んでおくといい」 - おばあちゃんの言葉については
「性別よりも、そこにある愛情に目を向けてあげて」
どれも現実的で、社会で生きていくための処世術としては正しい。
だからこそ、私はこう思いました。
大人だなあ……でも、もし自分が相談者だったら、少しモヤモヤが残ったかもしれない。
なぜなら、
「そのモヤモヤ、わかるよ」と感情を丸ごと受け止めてもらえた感じが、あまりしなかったからです。
メンターの中には無性の方もいましたが、
「わかるよ、わかるけど…」という感じでした。
ロバート・キャンベルさんが最後に
「保守的に聞こえるかもしれないけれど、相談者を否定しているわけではない」
と補足していたのは、とても誠実だったと思います。
それでも私は、
“正しさ”と“共感”は、バランスが大事だなあ
ということを改めて感じました。
もし私が同じ相談を受けたら、こう答える
Xジェンダーの私だったらどう答えるかを考えてみました。
① 美容室で女性誌を置かれるモヤモヤ
私自身は
「女性が写っている雑誌だから嫌」という感覚はあまりありません。
興味がなければパラっと見て、惹かれる内容がなければ
すぐスマホに戻ることも多いです。
最近は、
- タブレットで好きな雑誌を選べる
- 常連になると好みを覚えてくれる
など、配慮のある美容室も増えました。
もし「限定的な雑誌を出されること自体」がしんどいなら、
雑誌が自由に選べる美容室を選ぶのも一つの手だと思います。
美容室モヤモヤついでにお話しすると、
私がモヤモヤするのは別の場面です。
「この髪型にすると、女性っぽくなくなりますけど、大丈夫ですか?」
こんな感じで言われると、モヤッとします。
私は
女性らしく・男性らしく、ではなく
「自分に似合うスタイル」を求めています。
だから最近は、
- 仕上がりイメージの写真を持っていく
- 雰囲気や質感を具体的に伝える
この方法に落ち着きました。
② 面接マナーが男女別なことへの違和感
番組では、学生生活の頃に学んだ面接時のマナーについての話をしていました。
私も学生時代に男女別のマナーに?と感じたのを覚えています。
中学生の卒業式で、
- 女子は足を閉じて手を重ねる
- 男子は足を少し開いて膝に手を置く
と指導され、
「なんで?」と思っていたけれど、
納得できる説明はなかったように思います。
「なんで?」と思う感覚を、
否定する必要はまったくないと思います。
むしろ、
- その違和感をちゃんと覚えておくこと
- 余裕があればどちらの振る舞いも“選択肢”として知っておくこと
それは、
ノンバイナリーな性別で生きる人にとっての“武器”にもなるな、と感じています。
振る舞いによって、
自分のジェンダー表現を調整できる可能性を持てるからです。
私は就活のときに、男女別のマナーに強く違和感を覚えました。
特に理不尽だと思っていたのが、
- 女子はメイク必須
- 男子はメイク不要
女性は会社に行く前に、メイクをする。
そのために女性は早く起きなきゃいけないし、
メイク道具を買い揃えなくてはいけない。
なぜ女性にだけ、時間的・労働的・経済的コストがかかるのか。
これは単なる個人の好き嫌いではなく、
「ジェンダー役割分業」や「性別規範」の問題でもあると感じています。
男女のマナーにコストの部分で差があることは、
社会的な問題だと感じます。
私の友人知人に、マナーへの違和感について話すと、
「そんなの、考えたこともなかった。でも確かにそうだね。」と言われることが多かった。
こういうふうに、
男性と女性のマナーを比べて違いに疑問を持てることも、
男女どちらでもないという視点を持っているからこそ、
客観的な比較ができた結果なのかなと思います。
だから、今自分が持っている違和感を、
社会の”空気感”に無理やり合わせず、大事に持っていて欲しいです。
③ 「女の子が孫で本当によかった」と言われること
相談者の子が感じていた
- 居心地の悪さ
- 場違い感
その感覚には、私も共感します。
ただ、もし私が同じ言葉を
おばあちゃんから言われたら、
嬉しく感じます。
それはきっと、おばあちゃんは「女の子」だから良いという言い方をしているけど、
本質的な部分では、
- 話し相手になってくれる
- 遊びに来てくれて嬉しい
そういう気持ちを表現してくれていると感じられるからです。
私個人的には家族からでも、友人からでも、
その人の言いたいことの本質の部分が、
「性別らしさとは関係ないな」とわかっていれば、
ミスジェンダリングはそこまで気にならないんですよね。
ミスジェンダリングについては、こちらの記事で詳しく解説しています。

でも、これが
- 会社の上司
- 部活の先輩
- 異性からの評価
だったら、私は強い嫌悪感を覚えます。
「この場に女の子がいてよかった」
=“性的な役割”を期待されている感覚があるからです。
最近観た
おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!
(通称:おっパン)でも、
「女の子がお茶を持って行った方が場が和む」
というセリフがありました。
まさに、ああいう発言が私は苦手です。
ステレオタイプを責めたいわけじゃないけど、
不快な気持ちを否定する必要はない
おっパンでも出てきていたけど、
こういう発言をする人たちは、
- そう教えられて育ち
- それが当たり前の環境で生きてきた
可能性が高いと思います。
だから、
その人たちを責めたいわけじゃありません。
でも、
不快だと思った自分の感覚を大事にして良いと思っています。
もしその場で「嫌だ」と言う気持ちを言うことができなかったとしても、
その感覚までは、
「大人なんだから」「相手を思いやって」で、
飲み込まなくていいと思っています。
まとめ|“正しい答え”より先に欲しかったもの
今回の虹クロを観て感じたのは、
- メンターの回答は正しい
- でも、共感が少し足りなかった
ということでした。
Xジェンダーやノンバイナリーの悩みは、
論理よりも先に、感情が揺れるものが多い。
だからこそ、
「わかるよ、そのモヤモヤ。私もこう感じてた。」
その一言が、
何より救いになることもある。
正解を急がなくていい。
違和感を持つ自分を、まず肯定していい。
そんなことを、改めて考えた回でした。

