「私は女なのかな?それとも違うのかな?」
そんなふうに、自分の性別についてふと立ち止まって考えたことはありませんか。
私は長い間、自分の性別がはっきりわからないまま生きてきました。
女として扱われていることに違和感がある。でも「男になりたい」とも少し違う。
その感覚を言葉にできないまま、ずっと心の奥に置いてきた時間があります。
もし今あなたが「自分の性別がわからない」と感じているなら、この話が少しでも安心につながれば嬉しいです。
性別迷子とは?自分の性別がわからない感覚
「性別迷子」という言葉は正式な学術用語ではありません。
でも、実際に私がコミュニティを運営する中で、
性別迷子の感覚を抱いている人がいるのでこの言葉を使っています。
性別迷子とはどういう意味かというと、
ここでは、「自分の性別の感覚がはっきりしない状態」を指しています。
多くの人は生まれたときに
・男性
・女性
のどちらかに分類されます。
でも実際には、そのどちらにも当てはまらないと感じる人もいます。
たとえば次のような感覚です。
・女として扱われると違和感がある
・男になりたいわけではない
・性別を意識したくない
・中性的な自分がしっくりくる
こうした感覚は決して珍しいものではありません。
心理学やジェンダー研究では、性別は単純な二択ではなく「スペクトラム(連続体)」だという考え方もあります。
スペクトラムとは、白か黒ではなくグラデーションのようにさまざまな状態が存在するという考え方です。
アメリカ心理学会(APA)は「性自認とは、自分が男性・女性・またはそれ以外だと感じる内面的な感覚」であり、生物学的性別とは必ずしも一致しないと説明しています。また、性別は男性・女性の二択ではなく、多様なあり方が存在するとされています。*1
参考資料
*1 Understanding Transgender People, Gender Identity and Gender Expression
体験談:私は小学生の頃から「中性」だと思っていた
私が初めて自分の性別に違和感を持ったのは、小学生の頃でした。
その頃の私は、なんとなく自分のことを「中性」だと思っていました。
理由ははっきり覚えていません。
ただ、「女の子」として見られていることに少し居心地の悪さがあったんです。
中学生になると、その違和感はさらに強くなりました。
制服によって
・男子
・女子
がはっきり分けられること。
それがなぜか不思議で、説明できない違和感を感じていました。
子どもの頃に感じた「男女の見えないルール」
保育園の頃、私は仲のいい男の子とよく遊んでいました。
ウルトラマンや仮面ライダーのごっこ遊びです。
でも小学校に入ると、遊びは変わりました。
モーニング娘。のごっこ遊びです。
ごっこ遊び自体は好きだったので、そこに不満はありませんでした。
ただその頃から、なんとなく感じていた空気があります。
男の子たちは
・サッカー
・ドッジボール
をして遊んでいました。
「楽しそうだな」と「自分もそっちで遊びたいな」思っていました。
でも、実際には自分がそこに混ざることはありませんでした。
なぜかというと、そこには暗黙のルールのような空気があったからです。
男の子と遊ぶ女子は
「好きな子と一緒に遊びたいからそうしている」
そんなふうに見られる雰囲気がありました。
だから私は、その場に入ることを選ばなかったんです。
その時から、「男女で恋愛するのが当たり前」という空気感があったなあと思います。
周りの女の子たちもオマセさんが多かった気がする。
思春期に強くなった体の違和感
中学生になると、もう一つ大きな違和感が出てきました。
体の変化です。
胸が出てくると、運動すると揺れるようになりました。
それがとても嫌でした。
そして、生理も始まりました。
この二つは、自分に「女性の体」を強く意識させてきました。
そのたびに、説明できないモヤモヤが積み重なっていきました。
私は今振り返ると、
「女性としての体を持っていること」
それ自体がストレスになっていたのだと思います。
大学生の頃に感じた恋愛の違和感
大学生になると、周りの空気はさらに変わりました。
みんな恋愛の話をしていました。
「彼氏ほしい」
「彼女ほしい」
付き合うことや性的な関係を持つことも、普通の流れとして語られていました。
でも私は、その感覚にあまり共感できませんでした。
自分の恋愛感覚が、周りと少し違う気がしていたんです。
さらに、メイクをすることが当たり前の雰囲気もありました。
メイクをしない女性は
「芋」
「やる気がない」
そんなレッテルを貼られることもありました。
私はその空気が苦しかった。
だから
・清潔感のある服を着る
・でも、メイクはしない
・ショートヘアにする
そんな形で、自分なりに抵抗していた気がします。
30歳でナベシャツを着た時の解放感
30歳のとき、私は初めてナベシャツを買いました。
ナベシャツとは、胸を平らに見せるための下着です。
そのときの感覚は、今でも忘れられません。
歩いたときに、胸が揺れない。
胸がフラットな状態。
その瞬間、私は思いました。
「こんなに楽なんだ」
そして同時に気づきました。
胸の存在は、
自分にとって想像以上のストレスだったんだ、と。
まるで体が解放されたような感覚でした。
ナベシャツについてはこちらの記事で詳しく書いています↓

カミングアウトで感じた「分厚い壁」
私は30歳頃からようやく、自分の性別を言語化するようになりました。
私は母、妹、パートナーには自分のことを伝えました。
でも、父にはまだ伝えていません。
あるとき、ママ友にカミングアウトしたことがあります。
「Xジェンダーで、男性でも女性でもない感覚があるんです」
そう話したとき、返ってきた言葉はこうでした。
「それって、そうなりたいってことですか?」
私は咄嗟に、「そうじゃなくて、そう感じているんです」と答えました。
でもその瞬間、私の頭の中はフリーズしていました。
この人は、そもそもそんな性別が存在すると思っていない。
男女しかない世界を前提に生きている。
そう感じたからです。
そのとき私は思いました。
「私はこの先、ずっと説明する側なんだ」
そして、この世界にはまだ分厚い壁があるんだと実感しました。
「男・女」という性別しかない、という世の中の”あたりまえ”を目の前に突きつけられた経験でした。
今の私は「無性」という感覚で落ち着いている
今の私は、自分の性別を「無性」に近い感覚で捉えています。
性別がない、自然と一体化しているような感覚です。
性別を意識しなくていい環境に置かれたとき、私は初めて自分とじっくり向き合えました。
そこから見えてきたのが、今の感覚です。
ジェンダー研究者のジュディス・バトラーは、こうした考えを説明するために
「ジェンダーは社会の中で演じられるもの」と述べています。
つまり、人は社会に合わせて
男性らしく
女性らしく
振る舞う傾向があるという考え方です。
私はその考えを、自分の人生の中でとても強く感じてきました。
これまでも、環境や人間関係によって、
自分の性別感覚は変化してきたからです。
現在は結婚して、子どももいて、
「男女は恋愛するもの」というレールから一旦外れた場所にいます。
そこにきて初めて、自分のSOGIについて真摯に向き合えている気がします。
それは、今のポジションを得たことによって、
周りから前提を押し付けられる機会が減ったことが影響しているように思います。
「普通」に縛られなくていい理由
私はよく、こんな言葉を伝えています。
「あなたはあなたのままでいい」
日本では他の国よりも、
「普通でいなきゃいけない」という空気が強いと感じます。
でも、その普通は本当に普通でしょうか。
よく考えてみると、それは
・周りから言われてきたこと
・社会で当たり前とされていること
が積み重なった結果かもしれません。
世界を広く見れば、価値観は本当にさまざまです。
だから、もしあなたが
「自分は普通じゃないかもしれない」
そう思ったとしても。
それは「間違い」ではなく、
ただ「違うだけ」かもしれません。
自分の性別がわからない。
それは決しておかしなことではありません。
むしろ、自分と丁寧に向き合っている証拠だと私は思います。
性別は必ずしも
男か女かの二択ではありません。
その間にも、外にも、たくさんの形があります。
焦らなくて大丈夫です。
ゆっくり、自分の感覚を大切にしていけばいい。
私はそう思っています。
あなたは、あなたのままでいい。

