『好きって言わないで』を書き始めようと思ったきっかけは、
過去にあったアウティングの傷が、ようやく言葉にできそうだと感じたからでした。
高校生のとき、私は初めてアウティングを経験しました。
でも当時は、それが「アウティング」という行為だとも知らなかったし、
自分が悩んでいることが、性自認や性的指向に関わるものだという自覚もありませんでした。
ただ、しんどかった。
理由はわからないけれど、学校に行けなくなるほど、確かに傷ついていました。
30歳になり、自分のSOGIについて少しずつ学び始める中で、
「Xジェンダー」「ノンバイナリー」「アセクシャル」という言葉に出会い、
それまでずっと抱えてきたモヤモヤや違和感に、ようやく説明がついた気がしました。
友人と話しながら過去を振り返っていたとき、
高校時代の出来事を話した私に、ぽつりと返ってきた言葉があります。
「それ、アウティングだよ」
その瞬間は、正直なところ「へえ、そうなんだ」くらいの感覚でした。
でもあとから、当時感じていた恐怖や孤独、行き場のなさを思い出して、
「客観的に見ても、これは相当なダメージだったな」と腑に落ちたのです。
そして同時に、
今なら、あの頃の気持ちを言葉にできるかもしれない
そう思えたことが、この本を書き始めた一番の理由でした。
〜「好きって言わないで。」アセクシュアルスペクトラムな私の恋愛遍歴〜
「恋愛がわからない」わけではない、という感覚
アセクシャルというと、
「恋愛感情がまったくない」「人を好きにならない」
そんなイメージを持たれることがあります。
でも、私は実は
「恋愛の感覚がわからない」というわけではない、と思っています。
たとえば、小学1年生のとき。
小学校6年生の男の先輩と手をつなぐイベントがありました。
そのとき私は、手をつないだ瞬間にものすごくドキドキして、
顔も真っ赤になっていたらしいです。
……らしい、というのは、
その出来事自体をはっきり覚えていないから。
後から母にその話を聞いて、「ああ、そんなことがあったんだ」と知りました。
中学生の頃にも、
「緊張するから、話しかけないでほしい人」が何人かいました。
いわゆる
「好きすぎて目が見られない!」
という、かわいい感情とは少し違っていた気がします。
たぶん、半分以上は苦手意識。
でも、残りの1/4くらいは
「仲良くなってみたい気もする」という、よくわからない感覚。
今振り返ると、
本当は自分が“男子生徒として”その人と仲良くしたかったのに、
それができなかった違和感や悔しさだったのかもしれない、
そんなふうにも思います。
当時は言葉にできなかったけれど、
今なら「複雑だった」と、ようやく言える気がしています。
当時の自分に声をかけたいか?と聞かれたら
「当時の自分に、今なら何て声をかけたいですか?」
そう聞かれることがあります。
でも、実は私は
特定の場面で声をかけたい、という感覚があまりありません。
ただひとつ思うのは、
SOGIについての勉強、
小学生の頃から教えておいてほしかったな。
先生!!!
それだけです。
もし、
「恋愛はこういうもの」
「男女はこうあるもの」
以外の選択肢が、最初から示されていたら。
私はあんなに
「自分は何かがおかしいんじゃないか」
と、一人で悩まなくて済んだかもしれません。
書いていて、予想外にナーバスになったこと
この本を書いている最中、
一番ナーバスになったのは、やはり高校時代のアウティングのエピソードでした。
思い出そうとすると、
感情が先にざわついて、言葉が追いつかなくなる。
でも、だからこそ
「これは、ちゃんと書かなきゃいけない部分なんだな」
とも感じました。
無理に感情的にならないように、
でも事実として、出来事として、
淡々と置いていくような書き方になったと思います。
それも、今の私なりの誠実さでした。
「アセクシャル」という言葉に出会ったとき
最初に「アセクシャル」という言葉を知ったとき、
正直に言うと、
「自分には当てはまらないかもしれない」と思いました。
当時の私は、
アセクシャル=アロマンティック(恋愛感情も薄い)
というイメージを持っていたからです。
でも、調べていくうちに
アセクシャルは“スペクトラム”であることを知りました。
完全に当てはまる/当てはまらない、ではなく、
その間に、さまざまな感覚が含まれている。
その中に、
「これ、自分の感覚、ここにいそうだな」
と思える場所を見つけたとき、
とても安心したのを覚えています。
この本を読んでほしい人
この本を、
声高におすすめしたいわけではありません。
でも、もし、
- 恋愛するのが当たり前な世の中で、しんどさを感じている人
- 性行為を望んでいないことに、理由をつけられずにいる人
- 恋愛と友情の違いが、よくわからないまま大人になった人
そんな人がいたら。
「セクシュアルマイノリティのサンプル1」
くらいの距離感で、
こっそり読んでもらえたら嬉しいなと思っています。
これは、答えを与える本ではありません。
ただ、「こういう人もいる」という一つの記録です。
もしその中に、
「自分だけじゃなかったのかもしれない」
と思える瞬間があったなら。
それだけで、この本を書いた意味はあったと思っています。

