3児の親でありノンバイナリー。
30歳から「自分らしい生き方」を探求中のユウです。
皆さんは「親孝行」していますか?
私は高校生ぐらいの時から、
若いうちに「親孝行」をしておきたいという気持ちがありました。
父が癌で手術をしたことがきっかけだったと思います。
今も再発することなく元気ですが、
家族がいなくなるかもしれない、
という現実を知りました。
いついなくなってしまうかわからない親、
それならば、私ができる限りの努力で
親を「安心」させてあげたい。
と思っていました。
成人式、卒業式に振袖を着ること
私が今思い返して、
親孝行したな!と思うことの一つが、
成人式と大学の卒業式に「振袖」を着たことです。
自己紹介の記事で、
「私にとって女性らしい格好をすることは”女装”をしている感覚」
というお話をしたのですが、
私にとっては振袖を着ることは”コスプレ”みたいな感覚でした。
本当の本当は紋付袴を着てみたいし、
かっこいいスーツや燕尾服を着てみたい。
でも、少なくとも母や親戚の大叔母は
私が振袖を着て綺麗に着飾っている姿を見て
「ここまで育ってくれてよかった」と
安心してくれると思う。
自分の欲を出して周りを混乱させるより、
家族が幸せな気持ちになってくれる方が数倍嬉しい。
そんな気持ちで、振袖を着ました。
髪の毛も、
この日のためにポニーテールができるくらいに伸ばして、
いつも短髪が落ち着く私なりに、努力したと思います。
無事に写真にもその姿を収めることができて、
よかったなと思います。
ウエディングフォトを家族に送る
「結婚」というのも一つの親孝行かな、
と思っていたイベントでした。
私が夫と結婚した時は、
コロナ禍だったこともあり、
式ができませんでした。
私は自分たちの結婚の様子を
写真にして家族に渡すことを決めていたので、
フォトスタジオに行って、写真をとってもらい、
親戚に配ることにしました。
ウエディングドレスと着物の2種類を着て撮影したのですが、
正直、ドレス選びには結構テンションが上がりました。
普段だったら絶対にできない格好。
夫が着ていたスーツは自分も着ようと思えば後で着れるけど、
ドレスは今しか着れない。
そんな、プレミア感があり、
プリンセスコスプレをしているようなテンションでした。
さらに、
メイクさんが私の顔に合うような素晴らしいメイクをしてくれたおかげで、
”塗られている”感がなく、自然な感じになれたことも、
女性らしい服を着ていて嫌な気持ちにならなかった理由の一つです。
とはいえ、
夫が紋付袴を選んだり、スーツを選んでいる時は
自分も袴とスーツを着て一緒に並んでいる姿を想像していました。
夫は地黒なので、
似合う服の色も違うし、
二人で並んで撮ったらバディ感が楽しめそうだな、
なんて密かに思っていました。
夫はそういうことに全然興味がないし、
夫家族にはカミングアウトしていないので、
実際はそんなことできないですが、
叶うなら違うタイミングでやってみたいですね…。
実家の断捨離をする
双子を出産する時に里帰りをしたので、
その際に自分の過去のものや
実家で埃をかぶっている本や衣類、アルバムの整理をしました。
特に、私が保育園から高校くらいまでに作った作品や
部活動の衣類、制服、漫画などは
おいたままにしておくと親が困りそうだなと思ったので、
里帰り中に片付けました。
思い出の品は写真をとってフォトブックにまとめて
プレゼント。
衣類や漫画は買取に出して
アルバムは現像したものを全てスキャンデータにしました。
膨大な写真があってなかなか骨の折れる作業でしたが、
これも「親孝行」したな!と思えたことです。
「親孝行」した!と思うことで、自分の中の罪悪感を減らしていたのかな
今思えば、
「親孝行」にこだわっていた1番の理由は、
自分が”普通の”女性とは違うということを
高校生ぐらいから察していたからだと思います。
家族が喜びそうだな、と思うことを
努力によって解決することで、
本当の自分を隠している罪悪感を
減らそうとしていたのかもしれません。
結果的には
めちゃくちゃ親孝行できている気がする!
という気持ちを得られているし、
自分がノンバイナリーであることを受け入れた今、
過去の自分の行動を褒めてあげたいなと思います。
受け入れてしまった今だったら、
振袖を着ていたかわからないし、
ウエディングの写真を撮っていたかどうかもわかりません。
「孫ができたことは?」
と思ってくださる方もいるかもしれませんね。
子どもを出産したことは、
私の人生をかけた、これ以上ない「親孝行」だったと思います。
でも、この話は長くなってしまうので
また別の記事で^^